2024年9月28日土曜日

日本神話「スサノウと八岐大蛇」

 順調に進んでいる新中学棟の工事であるが「一つだけ気がかり」な事がある。それは中学校棟に繋がる「西関門」入って直ぐの左側に大きな「木彫り彫刻」を飾るのであるが、その完成イメージについてこだわりの強い私には「本当に私が満足する作品」が出来るのかと先行きを心配して安閑とした気持ちではおられない。こういう性格だと言う事だ。既に2回の打ち合わせをしてきているがそれでも心配が残る。ここに「欄間彫刻」みたいな、「単なる平板彫刻」みたいな物を飾り付ける気は毛頭ない。だから急遽、名代としてM常務理事とU設備担当を富山県井波の彫刻家の工房に行って貰い、私の意思を再度徹底させるようにした。30日の月曜日に出張して貰う。 



中央館回廊を抜け、東館との境界は「天孫降臨の高千穂の峰がガラス絵」で飾られており、その境界を抜けると東門前の左面は「天の岩屋戸伝説が壁画」として描かれている。又回廊の中央部分には天御柱があり古事記の序文が薄墨で書かれている。古事記、日本書紀が描く日本神話の柱は以上の「天孫降臨」「天の岩屋戸」に加えて「八岐大蛇」伝説が来る。この三つがハイライトであり、神社神道の学校として残った最後の一等地に私は「ヤマタノオロチ(八岐大蛇、八俣遠呂智、八俣遠呂知)」伝説を彫刻で飾る。これで一連の東館、中央館、西館(新中学校棟)の新校舎が放つ神話の息吹が完成するのだ。発注先は石川県の日本の太鼓作りのトップメーカーさんである浅野太鼓さんで、実際の彫刻の手は富山県の井波彫刻の第一人者である伝統工芸士の畠山先生である。 




ご両人には既に飾る場所まで見て頂いており、私の信頼が厚い技術者であり、卓越した技能者である。畠山先生には100周年記念で3尺大太鼓の太鼓台に素晴らしい「上り龍の彫刻」を作って貰った。大変、満足している。しかし今回の作品は少し異なる。それは「神話のストーリー(物語)性」がある事だ。だから私は「心配性」ゆえに拘っている。発注者の意向をよくよく忖度して欲しいと思う。「バタバタ」と決まったプロジェクトだから十分な意志疎通が必要であり、先に述べたように30日は最終の意思伝達だ。絶対に「のっぺり」したものであってはならない。「躍動感」に溢れた「動きが感じられる立体化」を図って欲しい。そう、運慶、快慶の「仁王像」みたいにスサノウだけでも半身近くの立体化できないだろうか?感覚的には「鼉太鼓の龍の彫刻」みたいなものである。 


日本神話のスーパースターである「スサノウ」が太刀を振るって8つの頭と8つの尾を持つ大蛇の首を刎ねる有名な「八岐大蛇」伝説だから須佐之男命(スサノオノミコト)を「立体化的」にして欲しいと思う。高天原を姉のアマテラス大御神から出雲の国に追放された「やんちゃ」極まりないスサノオは、見事に大蛇を退治した。十拳剣で切り刻んだ時、尾の中から大刀が出てきて、それを天照大御神に献上した。これが3種の神器の一つである「草薙の剣(天叢雲剣)」である。これを契機にスサノウは改心し助けた美しい娘「櫛名田比売(くしなだひめ)」と結婚した。二人は日本最初の夫婦とされている。 

夫婦は新家庭の場所を出雲の根之堅洲国(現・島根県安来市)の須賀の地へ行き、そこでこの地が大いに気に入ったスサノオは「我が御心すがすがし」といってここに須賀宮を造り、(現在の雲南市の須我神社)、このとき雲が立ちのぼったのを見て詠んだ歌が、「八雲(やくも)立つ 出雲八重垣(いずもやえがき) 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を」と詠んだ。(盛んに沸き起こる雲が八重の垣をめぐらしてくれる。新妻を守るために八重垣をめぐらすことよ。あの素晴らしい八重垣よ)。これが「日本最古の和歌」として今に伝えられている。私はこの彫刻作品で浪速中学校の生徒に伝えるべき話が山ほどある。畠山先生の手で素晴らしい神話物語「スサノウと八岐大蛇」を躍動感溢れる彫刻にして欲しいのである。