2025年7月31日木曜日

超優良民間企業的、浪速高校1学期の終業式の日

 今日は「浪速高校1学期の終業式の日」であった。中学は既に18日に終わっている。一つの節目を迎えたことになる。“ふしめ”とは実に良い日本語だ。木材や竹の、節のある所、また比喩的に、物事の区切りとなる大事な所であると日本人は良く使う言葉だ。「人生の節目」とか。同じような使い方で一区切り、一段落とかあるが節目の方が断然良い。日本語って素晴らしいと思う。本校では重要な儀式のある時はまず学院神社の大神様に1学期の終了を「奉告」し(報告ではなくて)全高校生と共に一斉参拝を行った。これが節目であり、「神前奉告の儀」と言う。報告と感謝の意を伝えて、部屋に戻って「学院長講話」になる。その後私は退室して高校校長の手による終業式だ。形は完成しており、全ては流れるように進んで行く。これがまた大切な事である。モタモタしていては神様に申し訳が立たない。 

「学院長講話」では1学期が無事に終えたことをまず寿ぎ、まず冒頭は昨日のカムチャッカ半島の地震に伴う日本列島を襲った「津波」の怖さに言及し話を始めた。そして1年生の「伊勢修養学舎」の無事な成功を喜び頑張った生徒を賞賛した。その後一転して楽しみのある話に転換した。25日の2学期始業式後天空レストランの大改装のプレオープンに展開した。特に焼き立てパンコーナーを充実する旨も話した。その後2学期のハイライトである「秋季例祭・浪速祭」について生徒の作成したポスターを使って気分を盛り上げて行った。


そして最後に私は「特別プロジェクトK」について前広に紹介した。Kは韓国文化、韓国語の意味である。第二外国語として韓国語の同好会的勉強会を9月からスタートさせることを話した。来年は韓国への研修旅行を計画していることにも言及した。最後にもう一度夏休み期間中の行動について注意喚起を行って学院長講話は終えた。これらは重要な学校設置者としての責務としてのトークやスピーチであるが別の云い方をすれば「サービス」である。「私立学校は一種のサービス産業」だと考えればより理解は深まるだろう。公立学校とは根本的にこの点が違う。公立を避けて私立を選択してくれる受験生や保護者の期待は公立とは異なるものを求めている。それは何か? 

私は即座に「それは総合サービス!」と応えたい。人はスーパーマーケットに食料品や日用品を買いに行くが何処のスーパーでも良いとは考えていない。新鮮さ、値段、店舗の位置と美麗さ、清潔さ、従業員の服装、言葉遣い、誠意ある対応等々を暗に厳しく評価し、買うお店を事前に決めている。駄目だったら、期待を裏切ったらすぐにお店を替える。そこにユーザーの躊躇はない。私立学校は民間企業である。売り上げを伸ばしコストを切り詰め、出た利益の一部で給料を受け取り、教職員は自分たちの生活を護り家族を養う。残余資金は「教育環境の更新」を常に行い、生徒や教職員への還元も常に継続して行わねばならない。教職員はただひたすら生徒の面倒を徹底してみるのだ。今の浪速学院は超優良な民間企業に生まれ変わり、その路線上を走っている。変革と抵抗を恐れず、ただひたすらこの線路上を走って行こうではないか。

 

2025年7月30日水曜日

萩往還ならぬ「伊勢往還」

 「往還」と言う漢字がある。道を行き来することで、往復や往来と同じ意味だが、何か「格好良い」感じがする。おうかんと読み、おうげんとも読むらしい。有名な往還は「萩往還」や甲府から東海道に出る「鎌倉往還」などがある。中で有名なものは萩往還で、毛利氏が慶長9年(1604)萩城築城後、江戸への参勤交代での「御成道(おなりみち)」として開かれたことが始まりで、日本海側の萩(萩市)と瀬戸内海側の三田尻港(防府市)をほぼ直線で結び、全長はおよそ53kmの街道である。幕末に維新の志士たちが時代とともに駆け抜けた萩往還。はるか江戸につながるこの道を、武士や庶民、そして幕末の志士たちはどのような想いで歩いたかと思うと少し時代懐古の感傷的な気分になる。

 

今朝ほど、このような事を考えていたら、「伊勢往還」が有っても良いのではと思いついた。既に有るのかも知れないが、伊勢往還なら本校が主役?になると思った。72年間も学校と伊勢神宮を往復し「伊勢修養学舎」を継続してきた。これには大きな誇りを有している。史上初の1000人を超える高校生が5班に分かれて延べ11日間かかったが本日5班が戻って来た。まさに伊勢往還ではないか。私は東征門までバスを出迎えた。校長先生と硬い握手をした。特に通しで務めてくれた校長、副校長、学年主任、神道科教諭、随行の片山写真館さんには頭が下がる。部屋にお呼びし、慰労申し上げた。入れ替わりに中学校の1年生がバス5台で学校を出て「伊勢ホームルーム合宿」として伊勢神宮会館に向かった。これも伊勢往還である。



オーブンで焼いて、焼きあがったばかりの温かいパン、「焼き立てパン」は英語で 「freshly baked bread」と表現する。ここで使われる freshlyが「新鮮に・できたて」を意味する。今朝は「焼き立てパンー浪速ベーカリー・ショップ=ブル」の改装プロジェクトの第二回目の全体会議を行った。中枢のメンバーが集まり、今後の工程と組織体制について意思統一を行い、その後は現地にて改装のイメージを確認した。特に優秀な職員二人を本来業務以外として当て嵌めているから私の意気込みが容易に分かる筈だと思う。9月1日が生徒にPRするプレオープンとし本格的なグランドオープンは9月20日の浪速祭当日に焦点を合わせ、進めて行く予定である。 



ピザ販売も計画に入れ、自動販売機も設置する。全ては「(株)浪速教育振興(NEP)の事業であり、メンバーの皆さんは個人として「委託業務契約」を結んで貰う。純民間会社として営業利益が上がれば税金を当局に支払うことが必要だ。合わせて6階の天空レストランも改装を行い、リフレッシュして「生徒への食育の環境をグレードアップ」する。ポイント制とか「キャッシュレス」とか、今後様々な事を導入し、「外部販売」も視野に大きく捉えていく。少子化進展の中で学校法人浪速学院は「天空レストランを戦略的拠点」として生徒、保護者、まだ見ぬ受験生、そして浪速校友会の会員などを対象に天空レストラン6Rを「広く外部に開放」していく。その為の一里塚が「焼き立てパンコーナー」の大改装である。



2025年7月29日火曜日

京都、「お宿 いしちょう」さんから

 朝8時、事務室Kさんの運転する学校車で中京区河原町の「お宿いしちょう」に向かった。この宿は学習合宿も出来る宿泊旅館で、知る人は知る幕末の俊英木戸孝允こと桂小五郎の旧居跡にある格式高い旅館である。女将の出迎えを受けて既に到着していた生徒65人に対して「夏季京都学習合宿」の開講挨拶を行った。近代的ホテルではないが数年ここを利用し、サービスには満足しているから今年もここにした。


このように夏の間は修学旅行で京都に来る学校も少ないから結構良好な宿泊場所が取れる。広い館内は大学生とか本校みたいな高校生だから安心であり、高校3年生の中で偏差値の高い大学を目指している生徒が今日から8日間、毎日英国数の基本3科目での「受験勉強」と闘う。教員も入れ替わり京都入りして指導をしてくれる手筈で、校長は伊勢だから初日の開講式は私が来て生徒を激励した。差し入れとして去年は「焼き立てパン」にしたが、今年は「どら焼き」を山ほど持って来た。


今年は昨年に比べ20名も多く、主担当の先生は「習熟度別講習」にしたと言う。大変結構な話だ。合宿に来たから勉強が直ぐに出来るようになるわけではないし、同程度の学力レベルでクラスを揃えた方が教える方も教わるほうも効果があることは知っている。私が話した内容は一に「努力」、二に「努力」、三四が無くて五に「努力」である。時に私自身の高校生時代の話を交え、これからの人生へのキックオフとなるような学習合宿となるように幅広く話した。時間は20分、生徒は受験生だからその目は輝きしっかりと聞いてくれたと思う。

この旅館は明治維新の元勲として知られる木戸孝允の旧居跡に建てられた旅館だと前述したが、幕末には桂小五郎と名乗り、長州藩士、勤王志士、明治時代初期の大政治家である。号は松菊と称し、この旅館には石長松菊園という高級旅館もある。47歳と言う若さで早世したが、とにかく大久保利通、西郷隆盛とともに維新の三傑の一人に数えられる。私はここにくると木戸孝允の実物の写真や直筆の手紙などを見るのが楽しみである。生徒たちにもこの宿は京の風情溢れるなかにある木戸孝允ゆかりの宿だと話したが恐らく頭には残っていないと思う。



しかし何かの調子にこの旅館の事がこれからの彼らの長い人生の何処かにおいて出て来ることを期待致したい。近代国家となった我が国はここ京都の地を中心に、多くの若者の熱量で維新が成就したのであり、「若者の特権は自分を変え周囲を変えることが出来る」と話したが、今日私の話を聞いた生徒から将来大きな仕事をする人間が出ないとも限らない。教育に従事している人間の夢と希望はこのような「教え子」が世に出る事だ。

2025年7月28日月曜日

個性と個性のぶつかり合い?

 「第72回伊勢修養学舎」の最終班である第5班が定刻に出発した。見送りながら、これで最後かと思うと少し「ホッ」とした。でも現地の校長以下先生方は「まだあるのか?」と思いながら現地で待っているのも仕方がない。今までは4班までで5班などあった試しはないからだ。教員も一人当たり2回参加する先生方も出てきている。特に11日間連続で通す校長、副校長、学年主任、神道科の教諭には長い期間、ご自宅を留守にして申し訳ないが「これはこの学校の最重要の行事」だと思って対応してくれているのが私には嬉しいし感謝の思いが心に満つる。30日には最終班が学校に戻ってくるのでその無事な帰りが待ち遠しい。翌31日が1学期の終業式となる。 


バスを見送った後、目の前のグランドの芝生工事の状況を観察した。10年前に張った人工芝とは進歩した品物で新製品は静電気で取れた芝が靴先やズボンの裾にまとわり付かないと担当者も業者さんも言っていた。彼らの仕事は「やり始めたらすごい速さ」である。完成が楽しみだ。その後ついでに天空レストランの焼き立てパン販売コーナーの改造イメージを確認した。スタート時点では男性の新店長1名に女性の幹部職員4名でスタートする方向だ。大量に焼かねばならない時はPTAからの応援なども考えている。ほぼ全員が経験者だからまず安心だが、狭い空間だけに「チームワーク良く」やって貰いたいと思う。30日に2回目の全体会議を行う予定である。 


凡そ人間社会の葛藤や軋轢は「個性と個性のぶつかり合い」から来るものだと考えて良い。学校とて一般の社会と全く異なる訳ではない。前述した伊勢修養学舎も約1100人の生徒だから「実に様々な特徴を有する生徒群」だ。この一見個性と思えるような、成長過程にある精神が揺れ動いている、様々な生徒1100人を、ほぼ個性が出来上がった教員125名とのぶつかり合いが伊勢修養学舎だから、その仕事の難解さの様相は容易に想像出来る筈だ。学校とは大人を相手にしているところではないからその分大変な仕事なのである。 


ここで言うところの個性とは、わざと奇抜なことをする人、個性を出すつもりで、わざわざ人と違った行動をしようとする人、個性的に思われたいからわざと突っ張っている人、流行のファッションを追いかける人、目立ったり変わっていたりすれば、何でも個性になると思って行動する人、反射的に直ぐに対抗的になる人、反論ばかりする人などではない。確かに見た目や行動、思考は特徴的であるが、これらを個性とするのは私には大きな違和感がある。個性は動的であり、揺れ動いている。芯は変わらないが、表面は右顧左眄し、グラグラ動きながらじわじわと変わって行くから難しい。 

個性と言う表現を安易に使うべきではない。習慣や癖などを個性として言い訳には使わない方が良い。自らこれが私の個性ですなどと言う言葉を耳にすると私は振り返ってその人を見る。個性は努力して努力して耐えに耐え、結果として身についた自然に出てくる人間性である。人間として薫り高い芳香を誰に対しても放つ人を個性ある人と言う。これが私の定義だ。

2025年7月25日金曜日

マイセン磁器の花入れ

 昨日は伊勢へ第3班が出発した。ようやく折り返し点に差し掛かった。学校は極めて静かで落ち着いた雰囲気で私はこの感じが好きだ。午前中は高校1年生を除いてほとんどの生徒は校内に居るのに何故か静粛である。高校の2年と3年は特別講習が行われており、中学は全学年で「夏期講習」と称して特別な講習を実施している。やり方に工夫を凝らし1学期の成績で習熟度別にクラス編成を行って一コマ60分授業で午前中に3コマだから結構きついと思う。教科は基本5科目である。私はこの時を狙って中学の全教室を回って先生や生徒の様子を観察し激励した。 



生徒はマジ、真剣に取り組んでいたと思う。通常は45分授業だが60分授業となると「集中力」の問題が出てくる。しかし今日参観した限りはそのような気配は薄く、生徒は「やらねばならない」との自覚は有していたみたいでふざけているような生徒は皆無であった。一人の女生徒が私に小声で「理事長先生、ブログ読んでいます」と言ってきたのには少なからず驚いた。わざわざ中学校から私立に進学して生徒は6年間かけて「浪速の体質を変えていく為」の中軸の生徒として徹底して教育を展開していく必要がある。浪速中学の生徒はそういう意味でも極めて重要であり、「高校の3年間と中学の6年間の年月の差の結果」を見せ付けなければ私立中学を持つ意味はない。 



昨日は南海辰村建設さんの幹部が学校に見えられた。人事異動のご挨拶をお受けした。そしってU社長様からのご懇篤なお手紙と新校舎竣功記念品として「マイセンの花入れ」をご持参下さった。ヨーロッパ初の白磁製造に成功したことで知られるドイツのマイセン磁器は、「国立マイセン磁器製作所」から起こり、その起源は1710年、ザクセン選帝侯アウグスト強王の命により設立された「王立ザクセン磁器工場」に遡る。当時のヨーロッパでは、中国磁器や日本の古伊万里などが「ホワイトゴールド(白い金)」と呼ばれ、王侯貴族の間で高値で取引されていたが、これに対抗して遂に1709年、磁器の焼成に成功し、その翌年にマイセンに窯が築かれた。ドイツ人のこのひたむきさが凄い。 



以後、マイセン窯は門外不出の技術とされ、その技術を狙って各国が人材を引き抜くなど、磁器をめぐる争奪戦も繰り広げられたという。19世紀に入ると世界中の富裕層からの注文が相次ぎ、マイセンの名は国際的なブランドへと成長し、現在は、ドイツ・トリービッシュタールに拠点を移しつつも、伝統と革新を融合した作品を世に送り出し続けており、その一品が本日頂いた物だ。深みのある青は「マイセンブルー」と称され、染付技術の世界最高峰である。 

このような歴史ある磁器を日本民族の精神的な根幹である、神社神道を建学の精神に持つ学校の竣功記念に選んで下さった南海辰村建設さんのお心を私は読み解いた。志を立て、ひるむことなく研究と手技の開発(学習と努力)によって世界に通用するものを創り出すことは、人材教育そのものであり、浪速中学校への大きな激励と受けとめた。100年前の生徒の伊勢学舎の記念写真の前の書棚の卓上中央にこれを設置し今後の更なる努力を誓った。

2025年7月23日水曜日

アカデミックな雰囲気で「楽しく、知的な授業を!」

 昨日の話になるが伊勢修養学舎の第1班が正午過ぎに無事、学校に帰着した。入れ替わって朝8時半に2班がバス6台で学校を出発した。西名阪道の何処かで帰りと行きのバスはすれ違うが生徒は気づかないと思う。神宮会館ではこの短い時間で待機の時があり、連続帯同の校長以下教員は暫しの休息時間となる?正午過ぎには又2班が会館に到着し、昼食後、開校式が始まる。このように既に「形は完成」しているから安心して見ておられる。これが第5班まで続き最終班が学校に帰着するのは30日である。浪速高校ではこの修養学舎が終わって初めて1学期が終わり、翌日の31日が終業式となる。 


19日の高校第1回オープンキャンパスの分析結果の報告を詳細に入試広報部から受けたが参加者数は言うに及ばず新記録となり、就中授業体験のアンケート結果は目を見張るものがあった。私はレポートに目を通し、説明を聞きながら「我が意を得たり」と私の顔は大いに破顔一笑した。全ての教科で感嘆のレポート内容であったが中でも数学のO先生の授業はその中身がすごかったと思う。一例を上げよう。これを出された保護者はパソコンを持ち込み、それを書いて校内メールで入試広報部に出したと言う。近未来ではこのように完全な「ペーパーレス説明会」となっていくのだと感じた。 


「浪速高校のオープンキャンパスで受けた数学の授業は、とても分かりやすくて面白かったです。先生の説明が丁寧で、難しい内容でも理解しやすく感じました。普段の授業よりも応用的な内容に触れることができ、高校での学びに対する興味がさらに深まりました。質問しやすい雰囲気もあり、学ぶ楽しさを実感できました。浪速高校で数学をもっと学びたいと思いました。また、実際の高校の授業を体験することで、学習環境や授業の進め方を具体的にイメージすることができ、自分に合っていると感じました。周りの参加者とも意見を共有できて、良い刺激になりました。数学に対するモチベーションが高まり、入学後も積極的に取り組みたいという気持ちが強くなりました。浪速高校の学びの質の高さを実感し、この学校で充実した高校生活を送りたいと心から思いました。」 

入試広報部の纏めには授業体験・校舎見学の様子として、ICT環境をフルに活用したオリジナルの授業を実施し、参加者も意欲的に体験授業を受けていた。今年度は「楽しい」+「知性」の授業を実施していただいた。保護者の方もオンラインでの配信画像の鮮明さに驚かれ満足していただいた。お出迎えからお見送りまで生徒スタッフが溌剌とした姿勢で取り組んでくれた。今回の生徒スタッフは募集したその日に定員が埋まるほどに意欲的な生徒が多く、特に昨年から引き続いて参加してくれた生徒達は後輩へのアドバイスだけでなく、受験生・保護者様にもしっかりと目を配り、素晴らしい対応をしてくれた。 

特に私が嬉しかったのは次の部分である。校舎見学では、1足制であるにも関わらず、廊下がきれいなこと、各教室の綺麗さに驚いておられた。この校舎を建設する時に「一足制か2足制か」で随分と悩んだが今の生徒数を見た場合、一足制で良かったとつくづくと思った。とにかく高校の授業体験では中学の受験生に「高校の授業は何たるものか」を知らしめておかねばならない。キーワードは「楽しくて知的な授業」であり本校のICTをフルにしたアカデミックな雰囲気が伝わっているのが嬉しいのだ。次回、「9月13日に実施する第2回オープンキャンパス」でも担当する教諭はスーパースターとなり十分な準備を行い、今回と同様なアカデミックな授業をして欲しいと思う。まさに「教師冥利に尽きる」と思う。

2025年7月21日月曜日

「伊勢へ七度、熊野へ三度」

 昨年、噺家の大御所である桂福團治師匠から「伊勢へ七度、熊野へ三度」と言う言葉を教えて頂いた。伊勢神宮へは7回、熊野三社へは3回、お詣りすると言う事だが、これはたびたび参ること、信心の深いこと、また、信心はどんなに深くしても限りはないことの例えだと後で物の本で学んだ。有名な落語の「伊勢参宮神乃賑(いせさんぐうかみのにぎわい)」、通称「東の旅」と言う落語は伊勢参りの道中を描いた上方落語の名作であり、この中に先の言葉は出て来ると福團治師匠はおっしゃっていた。大阪の落語家はこの話から修行に入るともお聞きした。確かに蒸し暑い日で時折小雨が短く降る伊勢であったが私はお伊勢参りを行った。この20年間、数えきれないくらい位の参拝である。優に100回は超えているだろう。 

昨日は令和7年度の「第72回伊勢修養学舎」であり、私は開校式でのスピーチの為に第1班に帯同した。生徒総数は1050人を超え、指導に当たる教員は通算で125名と言う大人数が5班に分かれて神宮会館を拠点に「神道の何たるかを学ぶ最重要な学校行事」である。事務室のKさんの運転する学校車で7時20分に出て一路「内宮宇治橋」に向かった。10時30分には到着したが大勢の人で確かに賑わっていた。広い境内をただ黙々と歩き、「内宮」に参拝。湿度が高く、カメラのレンズも曇るとKさんは嘆いていた。 



一人参拝の後、翻って「神宮会館」に到着し、本校理事でもある館長さんと暫しの懇談を行い、昼食のご接待を賜った。その後生徒が講堂に打ち揃ったとの連絡を受け「開講式」に臨んだ。そこで理事長・学院長として「開講挨拶」を行った。これがメインの責任である。この模様はビデオで録画され後に続く2、3、4、5班に同じものが開講式で映しだされる手筈となっている。その後「校長講話」が続き、その後は生徒全員が4台のバスに分乗し「猿田彦神社」に向かい校長と生徒代表による昇殿による正式参拝を行った。私はこの「道開きの神さま」について短い講話を行い、「志しを持ち努力と忍耐、感謝の気持ちを持つことで間違いなく君たちの道は必ず切り拓ける」と激励した。 




次はバスで10分程度の処にある「外宮」に参拝したのだが、その頃には曇りも幾分陰り青空がのぞいていた。その分本当に暑い日であったが生徒は一糸乱れず素晴らしい歩きでご本殿に向かい、「御垣内参拝」を許された校長と生徒代表に合わせて「柏手」を打った。これで私の役目は終わり、後は校長、副校長、学年主任、神道科教諭に任せて学校車に乗って学校に戻った。時は夕刻の17時30分であった。昨年と全く同じ時間で、本当に良い時を過ごしたと「幸せな疲労感」を感じ、関係する教職員へのお土産である「伊勢うどん」を車から降ろしたのである。