2025年7月29日火曜日

京都、「お宿 いしちょう」さんから

 朝8時、事務室Kさんの運転する学校車で中京区河原町の「お宿いしちょう」に向かった。この宿は学習合宿も出来る宿泊旅館で、知る人は知る幕末の俊英木戸孝允こと桂小五郎の旧居跡にある格式高い旅館である。女将の出迎えを受けて既に到着していた生徒65人に対して「夏季京都学習合宿」の開講挨拶を行った。近代的ホテルではないが数年ここを利用し、サービスには満足しているから今年もここにした。


このように夏の間は修学旅行で京都に来る学校も少ないから結構良好な宿泊場所が取れる。広い館内は大学生とか本校みたいな高校生だから安心であり、高校3年生の中で偏差値の高い大学を目指している生徒が今日から8日間、毎日英国数の基本3科目での「受験勉強」と闘う。教員も入れ替わり京都入りして指導をしてくれる手筈で、校長は伊勢だから初日の開講式は私が来て生徒を激励した。差し入れとして去年は「焼き立てパン」にしたが、今年は「どら焼き」を山ほど持って来た。


今年は昨年に比べ20名も多く、主担当の先生は「習熟度別講習」にしたと言う。大変結構な話だ。合宿に来たから勉強が直ぐに出来るようになるわけではないし、同程度の学力レベルでクラスを揃えた方が教える方も教わるほうも効果があることは知っている。私が話した内容は一に「努力」、二に「努力」、三四が無くて五に「努力」である。時に私自身の高校生時代の話を交え、これからの人生へのキックオフとなるような学習合宿となるように幅広く話した。時間は20分、生徒は受験生だからその目は輝きしっかりと聞いてくれたと思う。

この旅館は明治維新の元勲として知られる木戸孝允の旧居跡に建てられた旅館だと前述したが、幕末には桂小五郎と名乗り、長州藩士、勤王志士、明治時代初期の大政治家である。号は松菊と称し、この旅館には石長松菊園という高級旅館もある。47歳と言う若さで早世したが、とにかく大久保利通、西郷隆盛とともに維新の三傑の一人に数えられる。私はここにくると木戸孝允の実物の写真や直筆の手紙などを見るのが楽しみである。生徒たちにもこの宿は京の風情溢れるなかにある木戸孝允ゆかりの宿だと話したが恐らく頭には残っていないと思う。



しかし何かの調子にこの旅館の事がこれからの彼らの長い人生の何処かにおいて出て来ることを期待致したい。近代国家となった我が国はここ京都の地を中心に、多くの若者の熱量で維新が成就したのであり、「若者の特権は自分を変え周囲を変えることが出来る」と話したが、今日私の話を聞いた生徒から将来大きな仕事をする人間が出ないとも限らない。教育に従事している人間の夢と希望はこのような「教え子」が世に出る事だ。