2024年5月18日土曜日

薫風の中、本校ゴルフ練習場で3人の小学校6年生が・・・!

 長期休暇後の16日と17日は体の調子が今一つの状態であったが、今日は3日目となり大分調子が戻ってきた。私などは余り長い休暇は身体に良くないのか?どちらかと言うと仕事がある方が元気になる。今日から本格的に始動だ。理由があって着任が遅れていた入試広報部員の非常勤職員の面接を昨日行った。本校では最後の採用面接は理事長が行う。この女性は私が入学を許可し、卒業証書を手渡した本校OGである。会った瞬間どこか見覚えがある感じであった。浪速育ちの雰囲気があった。自分の人生は浪速高校で基礎が形作られたと言う。物静かだが頭の良さそうな好感情を人に与える20代の女性であり、ご家庭は税理士のお家で一人娘さんだと言う。前職は外車のボルボで営業販売を担当していたと言うから戦力になると思い、採用した。今後は入試広報部員として適性があるのか観察しながら育成していく必要がある。 

私の休暇中に行われた「中学校の屋久島修学旅行」は無事に終わって今朝ほど付き添い教員が部屋に「帰校報告」をしてくれた。全日程が快晴で「縄文杉」まで踏破出来たそうだ。あの天候不順な屋久島で晴れが続くと言うのも浪速中学校の勢いを象徴しているかも知れない。私は付き添いの先生方に生徒を無事に連れ戻ってきた記念に何時も「三岳」と言う芋焼酎をプレゼントしており、今日も一人一人の先生方に手渡し慰労した。続いて総務部の指導教諭のY先生と部長のI先生が入って来て「ようやく完成した正式版100周年誌」を私に手渡してくれた。長丁場であったが、「大変立派な仕事」をしてくれ感謝に耐えない。この件については別途書くが20日の役員・教職員合同の一大パーティにおいて披露したいと思う。早速府内の私立大学、高校、教職員、PTA役員他100年史に寄稿して下さった方がたへ送付するように指示をした。発刊日は令和6年4月30日で、1年前の開校記念日から丁度まるまる1年かかったが、これで「開校100周年記念事業」は全てが見事な形で終わったことになる。 


昨日の浪速中学校塾長先生方への学校説明会に続いて今日は「小学校6年生の浪中クラブ体験」があり私は自慢の「高天原スポーツキャンパス」に急いだ。硬式テニス部、ゴルフ部、陸上競技部のオープンレッスンがあり、その様子を見たいと思ったからである。テニスもゴルフも今や大阪を代表するクラブになっており、強くなってきている。又陸上競技も競歩ではチャンピオンが出ている。良い練習環境は間違いなくそのクラブを強くするとの私の確信に間違いはない。テニスもゴルフも陸上競技もオリンピックやプロ出身の指導者であり、今後とも中学校のクラブ活動を応援する。驚いたがゴルフでは来ていた中で3人の小学6年生が70台で回るとか。私などは「下手くそ」の典型だが、小学生が70台で回るなど、驚天動地で早速中学校校長が保護者と個別相談していた。私も彼らと記念のショットを撮り、是非浪速に来なさいと誘ったのである。






2024年5月16日木曜日

15日間の長期休暇が終わり、本日から始動する!

 わが人生で初めての長い休暇だった。4月30日のアラウンドで筆をおき、以後一切学校とは無縁の状態にし、大阪を離れた。15日間の長期休暇となった。何ゆえか「罪悪感的な気持ち」は全くなかった。昔は3日も連続して休めば「皆に申し訳ない」みたいな気持ちがあったが、それが無いのだ。理由は明らかで学校は極めて良い状態にあり、自分も「やったな」という思いがあり、「この辺で暫く学校と離れてみるか」と思ったのだ。管理職や分掌の部長さんたち、全教職員が全員頑張ってくれているからトップがべったりといなくても良いと考えたのである。

「忙中閑」という言葉があるが「暇になったから何処かへ出かけようか」というモノではない。やるべきことは山ほどあるが、ぼつぼつ若い人たちに任せていくという行為も人材育成の為には必要だ。15日間、学校から報告や連絡は全く無かった。常務理事や理事である高校、中学の校長を中心として「理事長に心配かけるような事は皆無に!」頑張ってくれたに違いない。このようにして世代替わりは進んでいくのだろう。

17年間の本校勤務で1回もスキップすることの無かった月度一回の「一斉参拝」を初めて欠席することになった。これだけは気にしていた。常務理事に代行するように言っていたのだが、これが結局「ビデオメッセージ」になった。参拝は常務理事と両校長の先導で行われ、「学院長講和」は前撮りしたビデオとなった。生徒も初めて理事長・学院長の顔を生で見ることはなかったが案外と集中して聞いてくれていたと今朝ほど報告を受けた。

今朝、人気のない神社前を歩き、私は一人で学院神社に参拝した。この間のご加護を感謝申し上げた。その後、中学校棟建設現場を視察したが、周辺は大変良く整理されており、これだけで私は南海辰村建設さんの素晴らしいお仕事振りが分かる。

その後留守を守ってくれた管理職を部屋に呼び、留守番のお礼を述べた。そして管理職の次は管理補佐職を呼び入れ、お土産をお渡しした。物はそれぞれ異なる。同じものというわけにはいかない。これが木村流である。留守中の責任の重さが根本的に異なるからだ。長い休暇で私自身は少し身体が生ってきたのを感じており、ぼつぼつと始動してまいる。しかし仕事の仕方は少し変えて行こうと思う。重要な学校行事は先送りしてくれており、さっそく来週の20日は学校法人の役員、全教職員、総勢200人を超える歓送迎会と慰労会をかねた大パーティがある。4月任用された新人の教職員のお顔を見ながらお話しできると思えば嬉しい。本校の20代、30代、40代の若い教職員は本校の宝物である。大きく素直に育って欲しいと思う。これが私の最後の大仕事だ。






2024年4月30日火曜日

あの日から1年、そして更なる改革の元年へ

 人間、誰しも楽しかったこと、嬉しかったこと、思い出になったことなど「もう一回」と思うものだと言う人は居るが、私は決してそうではない。「もう良い!十分経験した」と思う。二度と同じことはしたくない。おそらく全力で当たり、「やり切ったという思い」がそのように思わせるのだと思う。「1年前の今日、4月30日は開校100周年当日」にあたり、その前の1年間にわたる準備期間や当日の雨模様の天気、果たして設計通りに全ての式典は進むのだろうかなど色々と「気を病んだ」。しかし学院神社の神様からのご加護を頂き、奉祝祭の始まる前には雨も上がり、全教職員が一致協力し「パーフェクト」に「奉祝祭、新校舎建設宣言、記念式典、祝賀会」と4企画を流れるように見事に終える事が出来た。普通は完全にやり切ったとは言わないものだが私は言う、「完全試合」で勝利したと。あの日から丁度1年が経過し、今でも私の身体にはあの日の熱い血潮が時々湧いて流れているから、もう二度とあのような「大事」を、あのような「慶事」を自分の手でしようとは思わない。だから後輩には「やりたかったら次は開校150年くらいだね?」と遺言している位だ。100年をやったら、110年も、120年ももう余り意味は無い。 




今日は生徒の「校外学習の日」であった。高校生はもう大人として扱い、現地集合で学年単位に奈良、京都、神戸へ。中学生はバスにて学校を出発し、「神戸布引ハーブ園」「伊賀の里モクモク手作りファーム」、鳴門の「大塚国際美術館」である。私は東征門を出ていく生徒を見送った。明日からは学校は6日までの連休としているから、この日の30日は校外学習と言う学校行事を入れ、開校記念日は翌5月1日にしている。勿論休みだ。昔は「創立記念日」と呼称していたが私は開校記念日と正式に改めた。従って本校には創立記念日は無い。あくまで大正12年(1923)4月30日が学校の第一回目の入学式があった日であり開校した日なのである。 



中学生の校外学習を見送った後、新校舎の建設現場を視察した。今日から3日間の予定で2階の柱や3階部分の床のコンクリート流し込みの日で着々と建物の外観が出来上がっていくのを見るのは楽しい。1年前の今日、ご関係の皆様の前で新校舎建設宣言してから1年、建物の躯体は6階建ての3階部分まで進んだ。まさに「時は力」だと思う。その後私は今日から採用した常勤事務職員のMさんと初めて面接した。前職と言っても地方の市役所の正職員であり、国立大学卒業のキャリアを有する。一身上の都合で3年間の公務員勤務から離れ大都会の大阪に出て来られた。面談の受け答えから直ぐに優秀な人材と分かった。私は採用を了として迎え入れた。これで今年は2名ものポテンシャル高い若い女性職員が確保できたがいずれも将来に期待が持てそうで、これから学校勤務と言う滅多に得られない仕事の中で大きく育って欲しいと思う。開校101年目の4月30日が彼女の初出勤日であった。 





28日は「大阪私立中学校フェア」があり、大阪国際会議場に「いの一番」に様子を伺いに行ったが大きな熱気に包まれていた。朝一番の10時開場にどっと人が流れ込んだ。間違いなく高校の授業料完全無償化は徐々に私立中学校にも順風が吹き始めたと感じた。本校のブースも列が出来るくらいで「新校舎」への興味関心が多く寄せられた。数は前年を大きく上回り、一安心した。中学校は「一本釣り」であり、今後は地道に足で稼いで昨年よりも多い生徒を確保し、新校舎に入って貰おうではないかと私は入試広報部の幹部に檄を飛ばしたのである。



以上で連休前の私の仕事は終わりとし、準備に当たった開校100周年前の1年間、開校100年目の1年間、そして開校101年目が総勢3090人と言う大規模な学校となり順調に始動し始めた記念に、後顧の憂いは全く無いこの時期を選んで5月15日までお休みを頂いた。個人的な所用があり、人生で初めての長い休暇である。骨休みでないが、じっくりと今後の学校経営と自分自身の将来をじっくりと考察してみたいと思う。「多動型仕事人間の私」へのお薬かも知れない。

2024年4月26日金曜日

私立中高、各校別入学者数の正式発表

 4月24日、15時からの「大阪私立中学校高等学校連合会」の会議で正式にこの4月入試における各校別募集、志願、入学状況の発表があった。入試広報のK教頭がデータを整理して報告に来てくれた。「中学は府内59校、高校は94校」の入試結果の正式な公開数値である。今までは自校のみの数値しか知る由も無かったが、今後は相対的な数値比較が可能となった。まず「浪速高校については嬉しいことに2年連続でトップ」の位置でその数は966人とダントツの多さである。有難い事だが、小躍りして喜ぶような事ではない。「浪速人気がバズッて」いると人は言って下さるが、来年の事は誰も分からない。調子に乗って足元を崩せば、来年は「地獄を見る」かも知れない。辞を低くし、謙虚に「教育の中味を更に高めていく」だけである。やっかむ人が校舎が美麗だからと言う人間が居るとは聞いていないが、校舎だけでは生徒は来ない。やはり総合的に浪速教育の中味を受験生と保護者は観て下さり、評価してくれているのだ。 



済んだことはどうでも良い事だが、我々は伸びた学校、減らした学校を直視し、来年度入試の参考にする。高校についてはトップ3は2年連続で位置が変わらず、近大附属さんが936人、興国さんが817人であった。データでは94校中入学者が300人未満の私立が49校あり、200人未満の学校となると23校だ。完全に2極化が進んだ。又公立高校の70校が定員割れし、大阪府は大きな危機感を持たれている。授業料完全無償化の施策は私立、公立に大きな影響を与えた。来年度入試に向かって各私立も、公立高校も既に動き始めている。必ず新しい手を打ってくるはずだ。我々も油断することなく、スタートダッシュをかけて前に進む。高校はようやく基盤が出来つつあるが問題は浪速中学校である。来年の春には新校舎が竣工する。入学者を一人でも二人でも増やそうではないかと私は入試広報部に発破をかけている。 

私立中学は四天王寺さんが336人、清風さんが326人、開明さんが300人と昨年同様にワン、ツー、スリーであった。我々の「ターゲットは中学入学者の増」であるが、これが一筋縄ではいかない。今年は141人で59校中23番目の位置であったが、ここ5年間、22位、21、23、22.23位とこの辺が「定位置」になっているのに「嘆息」する。しかし、入学者数は着実に増えてきており2年連続で140人台となった。高校と同じく完全に「2極化」してきている。私は分かっているのだが「高校入試と中学入試は根本的に異なる」。その違いをここで説明することは簡単ではないが、母集団が極めて小さい故に「浪中に入れば、先行き、どうなるの?」と言った問いへの答えが明確で無ければなるまい。基本的には「中高一貫」の旗を掲げることが必要で、「高校はどちらへ言っても良いですよ」では返答にはならない。浪中、浪高の一貫路線がポイントになる。とにかく折角の新校舎を泣かさないようにしなければならない。 


学校は極めて順調に進んでいる。昨日、今日と「生徒の健康診断」を行っている。明日は「保護者の授業参観日」であり、28日の日曜日は「硬式野球の応援」だ。対戦校は関大北陽さんで楽しみである。30日は中高ともに「校外学習」の日であり、そのまま学校は連休に入る。私は初めて連続した休暇を頂く事にした。理事長の校外学習である。連休明けの7日の「一斉参拝」については17年間で初めて常務理事に代行して貰う。昨日その為に学院長講話用として「ビデオメッセージ」の前撮りを行った。生徒には「学院神社拝詞」と「浪速生活の綱領」を詳しく解説した。初めての試みであるがビデオメッセージは肉眼、肉声での講話にどこまで肉薄できるか?出来ないがしないよりは益しだ。常に学院長の声を生徒には届ける。





2024年4月25日木曜日

4月25日は、楠木正成公誕生の日!

 私は格別に「楠木正成公」を尊崇している。だから公の幼名である「多聞丸」から多聞の一字を頂き、「多聞尚学館」「多聞茶寮」「多聞楽舎」「多聞イチゴ園」「多聞果樹園・農園」と数多くの施設設備をこの千早赤阪村に所有している。公は鎌倉時代後期から南北朝時代にかけて活躍し、後醍醐天皇への忠誠を貫き、武家政治である鎌倉幕府を倒して「建武の新政」を敷いた。時代は建武元(1334)年で、今から700年弱の前である。公の思想と活躍は間違いなく明治維新の精神的柱になったことは間違いない。江戸時代末期、欧米列強の脅威を前に尊王による国の存続を唱え、吉田松陰ら明治維新の志士たちの精神的な支柱となった「水戸学」も、その原点は建武の中興の主役、正成公である。2代水戸藩主、徳川光圀(黄門様)は公の生き方を崇敬して自ら筆を取り、墓碑まで建立しそれは今も神戸の湊川神社に厳然として屹立している。私は多聞尚学館に楠公の騎馬像を建立した。 


この建武の中興の主役となった正成公は永仁2年(1294)4月25日、ここ現南河内郡千早赤阪村水分山ノ井でお生まれになった。「義と忠の人」、楠木正成公は、未だに千早赤阪の人々の心に燦然と輝く存在である。後世日本人は「楠公」と言い、今や「大楠公」とまで言われ、尊崇されて来ている。戦前、その昔は「日本人で最も尊敬されている人物は?」の問いに対して正成公の名がトップに出たと聞く。この地には明治の元勲「大久保利通」主導の「楠公誕生地」の碑があり、毎年、4月25日に誕生を祝う「楠公祭」が碑の前で行われている。本日は4月25日、私はご案内を受け式典に参列した。 




この地には大正時代に後の昭和天皇が皇太子として参拝され、境内には「お手植えの楠木」がある。記録には他にも極めて多くの宮家が行幸されている。昨日の雨も上がり「薫風宜しく」、楠公を尊崇して明治時代に出来た、「青葉茂れる」の歌の如く境内の樹木はまさに鮮やかな緑で文字通り、爽やかなお祭りとなった。国会議員、府会議員、千早赤阪村村長、楠公遺跡保存会お歴々、神戸湊川神社の女性の広報室長始め、近隣の幼稚園児などが大勢参列し、多くの人々が故郷の偉人に想いを寄せたのである。私は幼稚園児が「青葉茂れる」を太鼓と共に合唱してくれたのには感動した。この子どもたちは大人になっても楠木正成公の名前を忘れることは無いだろう。





2024年4月22日月曜日

「有言実行」こそは私の生きて行くエネルギー!

 学校は極めて順調に推移している。「平穏に粛々と」毎日が進んでいる。しかし私は想うのだ。昨年の丁度今ごろは8日後に控えた4月30日の「開校100周年記念奉祝祭、記念式典、記念事業たる新中学校棟建設宣言、祝賀会」の4パーツの準備に眼を釣り上げて全教職員が走り回っていた。あれから1年経ったが今の安堵感、幸福感、充実感、達成感などは全て昨年4月30日の成功裏に終わったからで、それを象徴するが如く、令和6年度は更に多くの入学者があり、総勢3090人の生徒が学ぶ大きな学校になった。「神恩感謝」しかない。あの時に「建設宣言した新中学校棟」は目の前で、日々形が変わり、工事が進められている。100周年記念碑「祈願の碑」は周辺に馴染み、生徒を見詰めてくれている。教職員の理解と協力があればこそであるが、この「有言実行」こそ私の真骨頂だと思う。言ったことは必ず実現する。過去も現在も未来もそうだ。その約束の実現こそが、私の生きていくエネルギーである。 





その後南海辰村建設さんから新校舎の進捗と特に内装との関連で設計陣の意向が説明された。今回は中学の建設チーム長も参加してくれた。素晴らしいものが出来ると分かっているが細部ではまだ「スペースの有効利用率」「将来の有り得る想定への対応策」など「施主たる私」には検討不足との印象があり、今日の設計打ち合わせにおける理事長の指摘に対して明確な返答を持参し再度打ち合わせの機会を持つよう指示を下した。特に「職員室の机配置」、「音楽教室の設え」、「中学生徒のコスモス(宇宙)スペースの設え」である。斬新的で機能的なレイアウトや備品など検討を進めて欲しいと思う。又理事長提案の「モデル教室」の先行建設については工事工程に影響の出ない範囲で少しでも生徒募集にプラスになるよう「格好良いモデル教室」と、その部屋に流す動画や完成写真の作成等について検討するように進路・教務部長に指示を出した。浪速中学の目玉である「英語と道徳の教育」をそのモデル教室で絵と音で一杯にするのだ。しかしパース図に描かれた正面エレベーターの中からシースルーで見える学院神社前の光景の素晴らしさには感動した。 



16時からは全教員が参加しての研修会の視察に出掛けた。今回は「ICT教育」がテーマである。7階の4教室に集まり、全員がPCを用いてオンラインで研修する。講師は東京のグーグル本社からでグーグルミートを使っての研修となる。今回は今まで本校の教員が積極的に利用して来た現在の「Google Jamboard」が2024年で終了するのでその後継アプリ「Figjam」が案内されたのである。これを「先んじて学ぼう」とICT教育推進部の企画で行われるものであるが、来年からの積極的な利活用を見据えたこのような「素早い対応」は私を殊の外喜ばせる。まさに「先手必勝」であり、ICT教育先進校としての「面目躍如」たるものがある。グーグルクロムブックを大規模な学校で中高全校生徒に持たせたのは本校が恐らく世界で最初であり、教員にグーグルの指導者認定の資格試験を受けさせ、ICT教育専門家としての資格を取らせたのも恐らく本校が最初だと思う。だからグーグルは本校を高く評価し、細やかな配慮をしてくれている。我々の誇りであり、今後とも他の追随を許してはならない。従って教員は一生懸命に集中してこの研修に臨まないといけない。今後とも「ICTに関しては、常にトップに立つ」だ。このエネルギーも今から17年前に私が着任した時に全教職員に宣言した「IT武装された都市型スクールの実現」の典型的な例である。