「苦しい時の神頼み」とは、日頃は神も仏も拝んだことがない信心のない者が、苦しい時や困った時や災難にあったりしたときにだけ、神仏に頼って助けを求めて祈ることを言うが、決して悪いことではない。素直に「他にすがる行為」は許されるし、尊いものだ。最も私は小さいころから両親のお陰で「神仏を尊崇して」生きて来たから、この学校に来たときから「より深く心を込めて神頼み」をすることが日課となった。毎朝毎朝だ。今朝も生徒が一人として居ない寂しい学校であるが、早く元の姿に戻るように学院神社の大神様にこの新型コロナウイルス、すなわち「疫病」の終息を祈願した。
伊勢神宮が現在の地になったのも当時我が国で流行した疫病を抑えるために天照大御神の御霊とされる「神鏡」が皇居から神宮に移されたことによる。昔から疫病はあったし、その時から「神のご神威・ご利益」はあったのである。しかし今回の疫病はしぶとく、まだ感染力が大きいため、どうも当初予定の臨時休校は6日から延長されて10日までとなり、更に約1か月程度延長される気配となって来た。政府や監督官庁である大阪府の行政指導だから仕方がない。しかし手をこまねいていてもどうにもならないので連休明け後の7日からは在宅勤務を終了させ、この日全教職員打ち揃って学院神社に参拝し、祈願し、「再スタート」の契機とすることにした。
11日からは高校6コマ、中学5コマのオンライン授業を開始する。ユネスコによれば全世界186の国と地域で約13億人の児童生徒が学校閉鎖の影響を受けているという。クラウドを活用し上手くいっているところはあるとの記事がある一方で家庭にタブレットやパソコンのないところは既に「教育格差」が生まれているという。元々自宅学習というものは格差を広げるものだ。特にニューヨークでは激しいという。落第の相次ぐ「コロナ世代」という言葉も生まれている。オンライン教育が最終解決策ではないが、電話だけで「元気?勉強してる?」だけではどうしようもないから、オンライン遠隔教育を実施するしか今は打つ手がない。我々も生徒と同じでオンライン教育を真剣に勉強するのだ。朝礼で高校校長と中学校長が徹底して指導してくれている。
時を同じくして知事周辺から「9月入学式」の話が出てきて、総理も「前広に検討」と表明した。今までもこの話は何回もあったが今度は全国の有力知事や国のトップが言及し始めてたから先行き楽観は出来ないが「前に進む」ような気がするが?・・・。しかし私の不満はただ一つ、「学期の統合」議論がどこにも出てこないからだ。「大向こう狙いの発言」なら悲しいね。9月入学に切り替えて1年を今までと同じような3学期制では効果がない。柔軟に弾力的に校内考査と学校行事等を広いスパンで検討できる「前期・後期制」あるいは「夏学期(4月~7月)・冬学期(9月~3月)」にして面白いこととなる。
検討の中で恐らく出てくるであろうが、長い夏休み期間設定などとんでもない。各教室にはエアコンが完備され真夏でも生徒は寒い、寒いと言っている。長い夏休みは高温多湿の明治、大正、昭和の空調の無い時代の話である。意識を変えよ。基本的に学校は勉強をする場所である。又9月入学で留学生が来やすいとか行きやすいとか言っているがごく一部の留学生徒の為に何故9月入学の最初にこの話が出てくるのか?日本の学校は日本の子どものための学校であり、まず最初に留学生のことに言及する必要はない。
これで明治以降続いていた日本の小・中・高のスタイルと文化は一変するであろう。ここまでやらないと意味はない。会計年度とか就職とかは些末な技術的話だ。大体就職時期が4月というスタイルも古臭い。もはや「通年採用」の時代である。企業もそうなってきている。第五世代の通信時代(5G)はもうすぐだ。極論すれば学びに学校に来なくても良い時代が来るかもしれない。コロナ後は世界が変わる。学校を変える今がチャンスかも知れない。「覚悟を決めてやる」ことだ。我々は今から12年前にすでに検討している。今当時の資料を眺めていると、実に本校は革新的な学校だなと思い知るのだ。