2020年10月27日火曜日

大好きな千早赤阪村と本校

私は「千早赤阪村」が大好きだ。この時世にあって「村(ムラ)」という表現が何とも心地良く響く。ご承知のように千早赤阪村は大阪府南河内地域に位置し、南河内郡に属する村である。大阪府で唯一の村であり人口が6000人以下と、最も少ない。「楠木正成」の出身地として知られている。戦前は日本人に最も敬愛されたという、この歴史上の人物である楠木正成公を私自身も大いに心惹かれているのだが、この事が契機となってこの村と関係が生まれた。その他、役行者が修行したと言われる金剛山や棚田などの自然に囲まれた歴史と観光の村であり、村のキャッチフレーズは「太平記のふるさと」「一冊の絵本のような村」だ。戦後、戦争賛美の象徴として批判され、あらゆる場面で大楠公は抹殺されて来たが、最近はNHKの大河ドラマにどうかなどの機運が出てきているのが嬉しい。

 この村は1956年(昭和31年)930日に千早村と赤阪村が合併して発足した。2002年(平成14年)から富田林市・太子町・河南町との間で合併協議がなされたが、合併方式をめぐって対立しこの話は消え失せた。2008年(平成20年)2 あたりの 河内長野市との法定協議会設置議案を村議会が可決し、編入合併の予定で、合併が実現すれば大阪府から村が消滅することになっていた。しかし翌2009年(平成21年)、村議会による河内長野市への編入合併に関する議案に対して反対意見が多数となり、結果、河内長野市への編入合併は白紙撤回され、府内から村が消滅することはなかった。この時以来私はこの村と深く関わるようになった。私は当時の松本村長に「村で良いではありませんか!」と何回も言った記憶がある。

私は廃校となった村立の多聞小学校を村から買い取り、10年かけて大改造し、今や山間部の豪華な山小屋風の「多聞尚学館」という校外学習施設を作った。その後引き続いて「多聞茶寮」「多聞いちご園」「多聞農園・果樹園」「多聞楽舎」と立て続けに「多聞の冠」をつけて私の安息の場所と生徒たちの学習施設を整備していった。多聞とは楠木正成公の幼名「多聞丸」から来ている。馬上姿の楠木正成公の銅像も3Dプリント技法で安く、安く作成し多聞尚学館正門に飾っている。学校を離れて千早赤阪村は生徒達の学力強化と心の滋養となる場所なのである。

 この村には産業らしい産業はない。農業は柑橘類、花栽培、しいたけ栽培くらいで、江戸時代から昭和30年代までは「凍り豆腐(ちはや豆腐)」の産地として有名であった。後は林業であるが何と言っても大阪府で最も標高の高い山である「金剛山」を有しているくらいが特徴である。金剛山登山、参拝、ハイキング、マス釣り等が細々とあるくらいで村内にはコンビニエンスストアが一つもないことでも有名だ。要は何もない村なのである。もし大阪都が実現すれば都にある唯一の村ということになる。何もなくても良いではないか!自然があればそれで良いと思う。最近では村特産の「千早姫」というブランドを掲げてイチゴ栽培に熱心である。だから私はビニルハウスでのイチゴ栽培や果樹園を作った。

 このような深いお付き合いがこの村とはあり、村の教育委員会から依頼され4年前から本学院から教育委員を出している。この度改選期にあたり、現在の派遣者が高い評価を戴き、引き続いて後任者を出して欲しいとお願いの為に本日村のK教育長が来校された。私は積極的にご要望を受け止め、優秀な人材を推薦した。何とこの村の教育長は昔からの知己で元は大阪府教育庁の幹部であった人である。久し振りの邂逅を我々は大いに楽しみ、話が弾んだ。ますます本校と千早赤阪村との関係が深くなる感じがした、「秋晴れ」の良い一日であった。