今年も今週だけを残すだけになった。「明日が理事会・評議員会で26日に終業式」、これで大きな行事は終わりだ。コロナ禍の中で無事にここまで来ることが出来、安堵している。中には早く終業式を済ませ冬休みに入った学校もあるらしいが、本校は最後まで頑張る。例年と言っても3年目だがこの時節に私は千早赤阪村の茶寮や果樹園にて「干し柿作り」にいそしむ。中学生1年生用の云わばクリスマスプレゼントである。神道の学校だがイエス・キリストの宗教にも神様として最大限の敬意を払う。神社神道の良いところは戒律などなくて自由な風があるところである。「神も仏も有難きかな」だ。しかし生徒にクリスマスケーキをプレゼントする訳にはいかないから木村流の干し柿に置き換え、日本と言う国の文化に少しでも近づけるのである。若い柔らかい頭の彼らはこの干し柿の味をこの先、忘れることはないだろう。
中学の進路教務部長のT先生が中学1年生に聞く。「干し柿、食べたことのある人、手を挙げて!」。一クラス35人程度の中で挙手する者はわずか一人か二人だとか。これがクリスマスケーキだったら「大歓声」だったろうが声無しだ。かれらは全てがスーパーマーケットで入手できると信じており、手作りと言う事を知らない。だからこの数値に驚くことはない。お母さん方も干し柿食べたことのない人は結構多いかも知れない。日本の子どもは中学生になっても干し柿を知らないのである。砂糖にまみれたケーキを食するのは日常茶飯事だが、天然の甘みを有する健康食品の干し柿は全く知らないのである。これが現実である。この事を想像していた私は自らが干し柿作りの先頭に立ち、生徒に食べて貰う作戦に出たのである。大きな意味で本校教育の一環である。今はコロナで不可能だが何時かは生徒が自らの手で作らないといけない。
数は400個以上の大玉の渋柿を入手し、丁寧に皮を剥いで熱湯につけ消毒し、紐に通して風の良く通る場所に天日にさらすのだ。時々「もみもみ」して全体に柔らかさが出るようにする。時々焼酎をスプレーで吹きかけてカビの生えないようにしなければならない。そうして3週間もすれば「アンポ」から少し進んだ柔らかさの干し柿が出来る。とにかく手間暇が必要である。それが良いのだ。今年は多聞果樹園の管理者である前述のT先生と中学1年学年チーフのY先生が「もみもみ」と最後の取入れ、そして「袋詰め」をしてくれた。袋詰めにもこだわりがなければならない。それが昨日の事で今朝ほど中学1年生に手渡したのだった。勿論中学の教職員にも配られた。何故中学1年生だけかと言うと全員同時と言う訳にはいかないからで、学年進行だから3年経てば中学生全員に行き渡る。しかしこれも私が居なくなったら誰もやらなくなるだろう。それで良いが私が居る間は絶対に続ける。