2021年4月23日金曜日

伊勢神宮と疫病退治 非常事態宣言の中味は???

「伊勢神宮の創祀の歴史」を知ることは本校の教職員や生徒にとって大切な事である。それは神話の時代に遡る。天照大御神のお孫さん、邇邇芸命(ににぎのみこと)が今の宮崎県高千穂の峰に降臨した(天孫降臨)際、天照大御神は三種の神器を授け、その一つ「八咫鏡(やたのかがみ)」に「吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。」として天照大御神自身の神霊を込めたとされる。この鏡は初代の神武天皇に伝えられ、以後、代々の天皇の側に置かれ、天皇自らが観察されていた。八咫鏡は第10代崇神天皇の治世に大和笠縫邑(村)に移され、皇女豊鍬入姫がこれを祀ることとされた。ところが崇神天皇5年、日本国内に「疫病」が大流行し、多くの人民が死に絶えた。恐らく今でいうコロナウイルス感染症だろうと思う。 

天皇は疫病を鎮めるべく大御神を宮中ではなくて幅広く外にお出まし頂くことをお考えになり、翌年の崇神6年、具体的に行動された。八咫鏡をお祀りする最適な場所を探すように依頼を受けた「倭姫」は、垂仁天皇25年にようやく今の地である伊勢、五十鈴川のほとりに場所を見つけられた。「日本書紀」は書いている。垂仁天皇253月の条に、「倭姫命、菟田(うだ)の篠幡(ささはた)に祀り、更に還りて近江国に入りて、東の美濃を廻りて、伊勢国に至る。」とある。実に20年以上かけて現在の地に到達されたのである。これが伊勢神宮の創祀である。 

本日私は二つの重要な要件があって三重県伊勢市に赴き、先ほど学校に戻ってきた。まず天照大御神をお祀りしている伊勢神宮の皇大神宮(内宮)にお詣りし、新型コロナウイルス感染症の終息を祈願した。本校生徒と教職員、そしてご関係を戴いている多くの人々の安全をお願いしたのである。そして2件目は神宮崇敬会に赴きT理事長にお会いし、新しく本校役員である学校法人理事の派遣をお願いしたのである。このお方は前の神宮のナンバー2に少宮司であり、90周年の時には大変ご厚情を戴き、宇治橋を描いた150号の絵画や現在学院神社の前にある別宮「倭姫宮の鳥居」を戴けるべくご尽力頂いた重恩のあるお方である。

 





T理事長は既に派遣頂くお方をお決めになって入り、W様をご紹介戴いた。大変立派なご経歴で、國學院大學神道学部、神宮司廰にご奉仕、総務部長の要職を務められ、崇敬会事務局長にこの4月にご就任された。大変素晴らしいお人柄で大いに本校のお力になって頂けると確信した。それにしても神宮は修学旅行生の多さが目についた。私は有る生徒に聞いたのだが、浜松の某私立中学の生徒で京都に行けなくなり、代わって伊勢神宮になったという。それ以外にも結構参拝客が多く、コロナ禍の中で皆さん、それぞれ疫病退治で祈願されているのだ。

 



豪華な昼食を戴き3人で暫し懇談したのだが、話題はやはり「非常事態宣言の中味」であり、共通して中身が甘く、やるなら徹底して抑え込まないと又ぶり返すとの3人の結論になった。今晩政府は中身を決め、発表するだろうが私は報道されているように、期間は3週間と短く、中身も今までと大して変わらず、その程度では変異型コロナは収まらないと感じている。3週間程度なら学校も含めて「ロックダウン(都市封鎖)」くらいやらなきゃ!古来いわく、戦術の小出しは敗戦の元、一挙に「ドカン」と全てを投入してやらなきゃ!