4月初めから5月の連休までの1カ月間、学校は本当に忙しい。12月の「師走」は4月にすれば良いと思うくらいだ。教職員即ち、師は走り回っている。昨日が入学式で今日は夕刻に「合祀祭」がある。そして明日は「春季例祭」と新学期の「始業式」でようやく高校、中学の全校生徒が揃う。大阪は変異型ウイルスにより感染が急拡大し蔓延防止の重点措置期間に入った。生徒や教職員の感染リスクが高まっていると思うが、「あたふた」しても仕方がなく、やるべき事をしっかりとやるしか手はない。特効薬が無いだけに毎日が不安である。今朝も4月24日の「保護者の授業参観」は中高とも中止とし、4月28日の「校外学習(いわゆる遠足)」は高校は中止し、中学は少人数だしバスでの移動だから今のところ実行する予定である。
昨日の入学式は本当に考えさせる深いものがあった。保護者もご来賓も会場には居らず、生徒と教職員のみで式は通常より早く進行した。これが「簡略版」と言うのは少しおかしいかも?と感じるようになった自分がいる。これが元来「あるべき姿」だと言ったら物議を醸すかも知れないが時代の進化は「何事も盛る」光景を生み出してきたのではないか。入学式も卒業式も多くの“盛り”で膨れ上がって来たと言える。戦後80年、学校も色々と学校行事を盛って来たと言える。今の時代、本当に高校生に校外学習が必要なのだろうか?無駄な部分(?)をそぎ落とせばすっきりする。コロナ禍で「ニューノーマル」時代が来たと言われているが、何か昔経験した時代が蘇ってきている感じもする。有る面有害なコロナがもたらした有益な部分かも知れない。
厳しい社会が来た。この経済循環では会社や企業の業績は「少数の勝ち組と多くの負け組」に顕著に分かれ、負け組はリストラがより一層進む混乱期に突入した。「持てる者と持たざる者」に明確に分かれ、その間隔はより拡大するのではないか。コロナにより社会は大変動が起きつつある。日本も世界も一変するような気がしてならない。今朝の読売は報じていた。遂に大学淘汰の時代が本格的に来た。日本私立学校共済事業団は2023年度までに大学、短大を経営している全国658の学校法人の内、21法人は自力での再建が困難で破綻すると報じた。加えて全体の18.4%にあたる121法人は将来破綻が懸念され統合や再編が加速する可能性があると言う。
根底には少子化で18歳人口が減少傾向であり大学間の競争が激化しているからとしている。大学が淘汰されていく時代が目の前にある。大学に進学させる生徒を多く抱える私立高校の設置者として内心は穏やかではないが、15歳から18歳までの高校生を多く抱える私立高校として本校はこの時代をしっかりと受け止め、今後とも先手、先手で学校を変えて行かねばならない。大学でも高校でも生徒が来てくれれば破綻することは無い。前述の記事で緊張はするが、それでも我々は先行して学校を改革し、生徒の集まる学校へと血の滲む努力をしてきたことへの自信と誇りはある。要は学校と言えども「護送船団」方式は完全に破綻し、生き延びる知恵と努力をしたところだけが生き残れるのだ。
今日は通信制の神職養成課程である大阪国学院から修了式と入学式のビデオメッセージの撮影を受けた。例年は大阪府神社庁にある大阪国学院に出向いてお祝いの言葉を述べるのだがコロナでやむなく執務室においての撮影となった。学校法人浪速学院・浪速高等学校・中学校は今から98年前に大阪国学院が基本金を持ち寄り創立した私立学校である。その歴史的経緯から私は「いわば、親筋の国学院」に対して敬意を払い参加してきている。ビデオメッセージではとにかく「敬神生活」の大切さと「歴史を紐解き」、守るべきものと変えて行くものを峻別して立派な神職になって欲しいと強調した。