「一所懸命」という言葉がある。同じような意味で「一生懸命」もある。元祖は「一所懸命」らしい。中世(鎌倉時代の頃)に生まれた言葉で、武士が、所領である土地を命懸けで守り、生活の頼みにすることを意味している。 そこから、「土地を守る」ということだけでなく、広く「命懸けで取り組む」という意味を持つようになったと辞書にはある。「一生懸命」は、「いっしょ」が「いっしょう」に長音化したもので、「ものごとを命がけでする様子」をあらわしている。どちらを使っても間違いではないらしいが使い分けは難しいね。どうも最近では一生懸命の方が良く使われているみたい。NHKがそうだから。
一時期耳にしたのが「会社人間」を揶揄しているのか「一社懸命」というのもあった。そこで私の造語だが「一校懸命」というのはどうだろう。「一学懸命」でも良い。生涯を通じて同じ学校に勤務し続けることだ。本日2名の教職員の永年勤続表彰をした。永年勤続表彰とは、長く勤めてくれた社員や教職員に対して、これまでの労いとこれからの期待を込めた表彰制度であり、対象者には表彰状とともに、賞与や記念品が贈られるが本校では表彰状はなく私の言葉と金一封を贈呈する。例年、5月の連休前に行うのだが、本日がその日であった。
本日の対象者は2名で40年勤続と30年だ。間違いなくお二人とも「本校への一所懸命・一校懸命」で頑張って頂いた。素晴らしいことだ。お二人とも大変立派な人物で本校発展に大きく寄与してくれた。私は心からお礼の気持ちを伝え、感謝した。そしてお体に気を付けて今後とも頑張って欲しいと激励したのである。そして今日あるのはご家族、なかんずく奥様のお陰であり、金一封の中味の半分は差し上げたら「喜ばれるぞ!」と要らぬことまで述べたのである。ちなみに昨年度は該当者無し、令和元年は40年、30年、20年が各お一人、平成30年は30年1人、20年2人、平成29年は30年2人、20年2人、平成28年は30年が2人であった。結構本校では「一所懸命」の先生が多いのである。
若者の離職率・転職率が増えている昨今というがそれは今に始まった話ではない。昔からだ。今では中高年の離職率や転職率の問題が加わった。1980年代は雑誌「トラバーユ」から「リクルート」そして「テレビCMの「ビズリーチ」、90年代は「リストラ時代」など転職を飾る言葉だけでも極めて多い。一種のファッションみたいで転職に関する社会的風潮は収まる気配は一向に無い。そういう中で一所懸命は素晴らしいことではありませんか?“年収800万円以上の求人が多数あります”“自分の市場価値を知る”などの甘い言葉で踊らされてはいけない。自分は古いタイプかも知れないがやはり「一所懸命の男」を称賛したいと思う。
「ここは自分の居場所ではないな?」と思った時の私の判断基準は明確である。考え、思いを変えて、一所懸命の気持ちで、過去を振り向かず、もう一度ひたむきに頑張るか、不満だがそれを我慢して、できるだけ無理をしないように、そこそこ、自分の能力の範囲で仕事をしながら目立たないようにやっていくか、さもなくば、新たな居場所を探すか・・・だが、その前に徹底して自己を振り返ることが大切である。「己を知れ」が重要である。自己の人間性、特に自己の能力、努力、辛抱、自己開発、資格取得、等々ここでは「一生懸命」の方があっている。一生懸命にやってきたか?だ。自己ではなくて他人や組織が認めることが重要である。自分だけが主張しても周辺が認めなければどうしようもない。とにかく転職する前に自己を見詰めることだ。「不平不満」ばかりで「原因全てを周辺のせいにする人」は運良く転職できても、又失敗するだろう。怖いのは「自己過信」「自信過剰」である。元々が人間性として「謙虚」ではないのだ。自分以外の人間の良さを知る人は強い。