あれから12年経った。2011年3月11日、私たちは浪速改革の最初の大きな成果とも言える「浪速武道館」の竣功式典を2日後に控え、準備に入っていた時だった。発生の時刻とされている14時46分最初は小さな揺れを感じた、丁度「お茶室洗心亭」の床の間の前に据わり「お軸」をかけている時だったのだが、軸が左右に大きく揺れたのである。多くの犠牲者と被災者を出したこの震災は未だに3万人の人々に非難を余儀なくし、日常生活に困難をきたしている。丁度トルコでも東日本を上回る大きな地震が発生し、人間は自然との闘いに全く勝てないと言うことを我々は骨身に沁みて知った。近畿圏に住む我々は今後30年以内に南海トラフの大地震を見ると言う。私は今更ながら「今を一生懸命に生きる」ことの重要性を知った。本日私は正門に弔旗を、中央館屋上に半旗を掲げ午後2時46分に、校内にいる全員に1分間の「黙祷」を捧げるように指示した。
今を一生懸命に生きると言うことは「自分だけ」「唯我独尊」に陥ることではない。「他に学ぶ」ことが極めて重要である。それで益々今の時間を有効に使える。時間に無駄が出て来ないからだ。特に教員は校内の事に関して専門的に、超多忙な毎日を過ごしているから余計に「井の中の蛙」に陥りやすい。「頭の中を柔らかく」しなければならない。それを強制的に排除する方法として「他への出張」がある。「外を見る」のである。出張は上司が指示して初めて効果あるものとなる。私も企業時代、自ら手を挙げて又上司の指示で本当に良く海外も国内も外に出掛けた。これは本当に生きた勉強となって自分を育ててくれたと思う。その時に言われた言葉は今も忘れてはいない。「木村、良いか、行ってきましただけでは意味は無い。何か一つでも真似をして取り入れろ」と言うものだった。まず「倣う、習う」のである。最初から独創的なものを狙う事ではない。この行為は謙虚さがなければ出来ない。
昨日3人の教員を東京の昭和女子大学付属昭和中学校・高等学校に出張をして貰ってその報告を受けた。素晴らしい報告だった。何が素晴らしいかと言うと「他に学ぶ姿勢」が際立って出ていた。この事が嬉しい。出張の目的は「情報教育」についてであるが3人の教員が手分けして、報告をしてくれたのだが、多くの知見と発見を得てくれていた。異例だが今朝も3人を呼んで短い時間だったが話をし激励した。3人とも私が面接し思いを持って育てている木村採用の教員である。まず出来ることから直ぐにとりかかって欲しいと思う。「人まねから入れ」と指示した。
間違いなく21世紀の教育の大きな柱に「情報教育」がある。これは国家としての戦略でもあり、中学、高校教育から情報教育の在り方に加速を付けて取り組まねばならない。21世紀の日本の教育の柱は「英語教育と情報教育」になるだろう。これを制した私立は生き残れる。これは木村が自信を持って断言したい。情報教育に携わっている情報企画、ICT教育推進部、情報科、教務部がしっかりと手を握り進めて行くことで「情報教育の浪速、浪速の情報教育」がこの分野をリードしてくれると思う。別途書くが典型的な成功例に「浪速国際コース」がある。志を持って優秀な教員がやれば「可能」なのである。そう、「スーパー・ティーチャー」こそが今後の学校の命運を左右する。浪速国際コースには既に2名のスーパー・ティーチャーが存在する。私の仕事は如何に多くのスーパーィーチャーを養成するかだ。まだまだ頑張らねばならない。