今日は少し「気合」が入っている。朝から100周年記念事業のもう一つの目玉である「祈願の碑」の揮毫だ。字は決して上手くは無いが私の字を見て「勢いがある」と言って下さる人は結構多い。想いを込めて一生懸命に書くと字から浮かび上がってくる人間木村の魂が出て来るのだろうか。開校100周年記念事業の目玉は勿論、「新中学校棟の建設」なのだがこれは2年後の竣功になる。今秘かに私は4月30日の100年前の開校当日に生徒、教職員と共にご来賓の皆様の前でご披露申し上げる「100周年記念碑」に取り組んでいる。本校の理事、評議員の方々は圧倒的に府内の神社の宮司様なのだが、その方々が「何か記念の物を作れ、作れ」と言ってやまない。私は記念碑を作ることにした。その碑の名前が「祈願」である。私は一生懸命「神に向かって、紙に向かって」書いている。
実は昨日この記念碑の土台に取り付ける「100周年記念銘板」がメーカーさんから納入された。わざわざ私が信楽まで出向き、メーカーさんに直接お願いしたものだった。「陶板」で今我々が胸に付けている100周年のバッジを焼き物で作って貰ったのだ。焼き物は1000度を超えて火を潜ればもう「何千年も朽ちる」ことはない。浪速学院はこれから先も朽ち果てることはない願いを込めて焼き物とした。しかしこれは簡単な仕事では無かったが大塚オーミ陶業(株)さんはこの難しさを克服して見事なものを作って届けて下さった。それが昨日なのである。これを受けて私は「俄然と」やる気になった。それが今朝の書なのである。黒みかげ石に祈願の文字は彫り込まれ、その下部に「100周年陶板」が取り付けられる。
肝心の土台の上にくる祈願のオマージュは、すなわち祈願をイメージする作品は既に今か今かと「萩市の陶芸工房」で「浪速行き」を待っている。昨年コロナで自粛していた浪速中学校の修学旅行を再開出来、その場所は近代日本の夜明け、幕明けの主役の場所となった萩にした。「萩焼」のその作品を見た時に私は身体が震えるほど惹きつけられた。「まさに祈りのオブジェ」なのである。陶芸家は金子信彦氏と言われる。4月になれば先生自らが作品を萩から運んで下さり、土台の上に設置される運びとなっている。イメージは祈りであり、「鉾のイメージ」も加わる。そう、「天の群雲の剣、草薙の剣」なのである。神社神道の学校としてこれ以上ない作品に出会った。
4月30日、学院神社の御垣内に近い場所に設置されたこの祈願の碑は別途発注しているPTA寄贈の「3尺大太鼓」の報鼓として剣道部員の打ち鳴らす天地を揺るがすような太鼓の音に合わせて私の手で幔幕が取り外されお目見えすることになる。嬉しい。その日が来るのが楽しみである。