2024年2月10日土曜日

令和6年2月10日その1:追悼:小沢征爾先生に学ぶ

 尊敬する小沢征爾先生が逝去された。御年88歳。直接の死因は心不全とあった。病気との闘いで弱っておられることは知ってはいたが突然の訃報に驚いた。とにかく新聞各紙は一面で報じ、他面にも補足の記事を載せているのは、間違いなく小沢先生は「世界の小沢」だったことの証明である。私は若い頃、ニューヨークのマンハッタンに住んでいたが歩いて5分くらいの所にカーネギーホールがあり、そこで小沢監督指揮のベルリンフィルハーモニーの演奏を聴き、初めて小沢さんを知った。この時に感じた興奮は今でも思い出す。管弦楽団の奏でる音が極上の色彩であり、タクトを振る小沢さんが身体全体で「弾けたリズム」を生み出しているようであった。「凄い日本人が出た」と、私は同じ日本人である誇りみたいなものを強く感じた。


最初はピアノから始め、10代から指揮を、あの有名な桐朋学園の指導者「斎藤秀雄」氏に師事され、生涯「わが師」として学ばれたという。ただ記事にあったが「学校で教えよ」と言う斎藤先生の言葉には従わず生涯、自由な立場で境界を取り払い、後進の育成に務められた。「普通の人を普通に教える」というスタイルであったという。あのカラヤンやバースタインという世界のトップ指揮者と友人として並び立ち、「全身全霊の指揮」「奏者を束ねる」だけに集中した生涯であったとあった。晩年は「小沢征爾音楽塾」を開設し、後進の成長に目を細めておられたとある。「人なつこっさ」「ざっくばらん」「あふれる人間味」「日本は世界と混ざらないと」「体ごと教える」「日本人初めての欧米で音楽監督」「リズムの爆発」「音楽で心を一つに」「愛された世界の小沢」「世界のオザワ」「音楽に愛された巨匠マエストロ」等々、このような賛辞が躍る追悼の見出しを私は今まで見た事が無い。 

私はいまこの文章を書きながら、小沢先生が生涯かけてやられていた熱情は、今「教育の現場に身を置く自分」としては見習うべき点が多いと感じた。多くの弟子から尊敬され慕われた小沢征爾さんは88歳まで頑張って来られた。先生が成し遂げられた大きな世の為、人の為になされた業績には勿論、遠く及ばず、「巨象と蟻の違い」があるにしても、折角今いる教育の現場において普通の生徒に普通の教育をすると言う生業を継続しようかなと思い始めた。先生がお亡くなりになったお歳までまだ11年ある。後11年あれば更に浪速高等学校・中学校を社会の公的教育機関として、その存在意義を理事長として、「指揮棒を振りながら」全教職員と共に高められるのではないかと思い始めた。人生100年時代、今から引退時期を考えるべき時ではなく、「今この時を一生懸命に務める」のである。今日の高校入試で続々と正門をくぐってくる受験生を見ながら強くそのように思った。