今日も高校入試作業は続いた。言葉は入試業務の方が適切か?まず今日は8時30分から拡大校務運営委員による「合否判定会議」を持った。「熟議」とは行かないが資料と教科長の説明がよくよく理解でき、原案通り確定した。しかし来年に向けての課題も整理できた。学校の現状と近未来に合わせて判定基準も細部では動くこともあって良いと私はコメントした。「ガチガチ」の固定観念だけでは学校は変わって行かない。「微修正」を図りながら公立中学校、塾に対してご理解を得る努力は必要だ。また浪速中学校は浪速高校に進学する生徒に対して「内部生」としての「矜持」を持つためにも格別の進路指導を図っていかねばならない。それが「中高一貫教育」の利点である。
しかし今日の「会議の顔ぶれ」を見て私はつくづくと思った。その昔の判定会議は全教員が出席する職員会議の形であったが、私は「不合理」と判断し止めて、校務運営会議のメンバーと教科長を交えた会議にした。「学年、分掌、教科の代表教諭」が出る会議にわざわざ全員が出席する必要はない、「司、司に任せよ」という私の考えである。従って今日の出勤は全員ではない。そうでもしなければ教員の負担軽減など進む筈はない。「教職員の働き方改革」の一つでもある。特段用事のない教職員は「有給取得奨励日」として休暇を取って貰い、入試で疲れた心身を癒して欲しいと思う。
この「何でもかんでも全員参加の形」は学校に今でも根強く張っている教員文化で「私も一票を行使し、皆で決めた!」という一見して平等性、公平性に見えるが、実は責任分担、回避ではないのか?と私は考えておりそれは幾分今でも頭の片隅にある。「赤信号、皆で通れば怖くない」だ。この論理が通るなら管理職など不要である。邪魔な存在だけだ。戦後から続いたこの左翼的思想?が戦後から徐々に学校を衰退させたと私は思う。「学校は組織体」でなければならない。教職員一人一人が「社長さん」ではない。誰かが責任を取らねばならない。それが役員であり管理職である。しかしその風景も本校では今や完全に薄れて来たと思う。しかし完全に無くなったとは考えるのは甘い。それが「人間の業」である。
合否判定が終了すれば結果を受験生に通達しなければならない。実はこれが細心の注意を要する「大仕事」で、もし宛先を間違って送ったりすれば「個人情報保護」の観点からアウトである。そのようなことが発生すれば、浪速高校の信頼は地に堕ちる。「合否通知封入作業」こそ、最後の最重要な業務であり、慎重に、慎重に取り進めた。これは一人のキーマンが仕切り、その人の指示で次に進めるという手順が良い。冒頭説明して全員に「さぁ、スタート」では必ず間違いが発生する。「一つ一つ」作業を前に、「ゴー$ストップ$ゴー」のやり方がポイントである。これも夕刻、近隣の郵便局員が現金輸送車みたいに車で封筒を取りに来て頂き引き渡す。以上で本校の入試業務は「一件落着」、この安堵がもたらす心地良い疲労感は格別である。私と校長は心を込めて慰労と感謝の言葉を申し述べ封筒入れは完了した。本当にこの3日間の校長以下全教職員の仕事は素晴らしかったと思う。