1月中旬から始まった入試はまず中学から始まり、その後高校に移って、明日の高校の再試験で令和7年度入試は終わる。明日の試験は過日の試験に体調他で受験できなかった受験生の為であり、本校では明日6人の受験生が来るはずになっている。この後に続く1.5次入試や2次入試は本校では実施しない。これ以上の生徒を獲得する気はない。この入試の完了を受けて週末の22日には専願合格者の「制服採寸」が予定されている。その数1010人前後だからメーカーのトンボさんも代理店の中西制服店さんも喜んで下さるだろう。両社とも本学院にとって大切なファミリー企業と当方は思っているからお互いが「ウイン・ウイン」の関係でお取引が継続出来る事が嬉しい。
私はトランプ大統領みたいには次から次と「大統領令」を発行してベクトルを真反対に変えるようなことは出来ないが、基本的に「変えるという行為に逡巡はない」。変えること自体が好きなのかも知れない。しかし考えてみれば組織のトップとは変えることが仕事である。人事も設備も変えてこそ新しい希望が見えてくる。神社界の言葉「常若」である。「20年間の浪速改革」でこの学校は全く全てが変わった。教職員も90%以上が私が採用した面々だし、事務室においては事務長以下一人残らず全ての職員が私が採用し育てて来た、あるいは育てている進行中の人物だ。従って理事長の影響なのか知らないが、本校の教職員の特色と言うか、長所は変える事に抵抗感が無いという事でこれは財産である。
しかしこのようになると最近自分で分かった事だが微妙な問題や課題について部下からの意見や提案が出てくるのは易しいことではなくなった気がする。変えた人間が変えないと次は生まれ出て来ないのである。このようにして組織にはワンマンとか絶対権者が生まれるのかも知れない。余り長くやるのも考え物だと悟った。令和7年度から中学校には新たに「学年主任」の職位と呼称を創設することにした。今までは「学年チーフ」という言い方であったが1学年が5クラスになった訳だし、前から感じていたチーフの呼び方の違和感などもあり、この際高校と同じように学年主任で良いと考えた訳である。すなわち呼称一つにも「ストーリー」があってこれを心身で知っている人間だけにしか変える事が出来ないのかと思った。これでは行けない。
今日は安全衛生委員会と校務運営会議があったが、私は集まった幹部教職員に「変えるべき項目があれば決めた本人が誰であれ、変えるべき理由と提案せよ」と改めて指示を出した。特に入試広報部はこの点に関して積極的であり、評価しているが「教職員だけが楽になるような」提案については慎重にすべきと付言した。今政府では毎日新聞紙上を賑わせているように国レベルで私立高校の授業料無償化議論があり、今後数年間、政治がらみで公立・私立高校議論が国民的広がりを見せる可能性がある。私立高校は受験生が来てくれてこそ私立であり、今年中高共に多くの生徒を確保出来たからと言って来年も同じとは言えない。少子化は益々進展していく。謙虚に足元を見つめ、「不易と流行」「伝統と革新」「温故知新」を合言葉に学校を変えて行こうと私は話を締めた。