今、大阪の教育界で「口の端に上る(くちのはにのぼる)」のは12日に行われた公立高校の入学試験で寝屋川、八尾、鳳の3校も募集定員を割ったという話である。口の端に上るとは、うわさになる、話の種になるという意味だがこの私も少なからず衝撃を受けている。どうも定員割れした公立高校は全日制普通科128校中67校らしいが、まさかこれらの伝統校3校が割れるなど未だに信じられない。SNS上では「まじか」「名門やのに」「えぐいな」などのコメントが溢れているという。
3校とも旧制中学の流れを組む創立以来100年を超える言わば名門校である。位置づけとしてはトップ校に次ぐ「2番手校」と産経新聞にはあったが、公立進学校にも「人気のかげり」が出て来たと報じている。授業料無償化による私学志向の高まりとあるが、私はこのアラウンドでも何回も言及しているが、いくら私学の授業料が無償と言えども、「直ぐに忘れられる可能性」があるということだ。今は「浪速高校は日の出の勢い」と多くの人々から言われていても「人気の上に胡坐をかいている」だけの学校に成り果て進むべき方向を見失うとすぐに募集定員を割るということだ。心しなければならない。
今日は建設中の新中学校棟の2階にある「来客応接室」に掲げる「扁額」の設置場所とその作品を持ち込んで場所を特定した。私には「強いこだわり」があって特別な部屋や特定の壁には「絵画」「墨蹟」「写真」「焼き物」等々「意味あるもの」を掲げる。その作品は「伝統、歴史、精神」等々を放つものとし、多くの人々に発信するようなものである。公的な公式の場所に掲げ未来永劫引き継いでいくという意思である。
この応接室には「澁沢栄一翁」の言葉から「勤則不匱」(きんそくふき)の書を模して本校初代校友会会長、枚岡神社宮司の中東弘先生に書いて頂き、学校で外部に依頼し表装して貰った。ちなみに「勤則不匱」という言葉は孔子が編纂したと言われる歴史書「春秋左氏伝」が出典のようで、「勤(つと)むれば則(すなは)ち匱(とぼ)しからず」と読み、努力さえすれば乏しくなることはないという意味である。読みも意味も極めて難しい字句である。この勤則不匱の言葉は渋沢栄一の遺墨集にも掲載されておらず、先日、中央館8階の閉架書庫で司書のSさんが本の整理をしていたところ、「講和實例書翰文自由自在」(森本謙/編著 文江堂)で大正4年(1915)6月に発行された書簡(手紙)の文例集の中からこの字句を見つけ出してくれた。極めて珍重すべき書物であり、今やこの本でしかこの勤則不匱の言葉を見ることは出来ない。
実はこの年の10月8日に大阪市公会堂(現・大阪市中央公会堂)で定礎式が行われ、そのお祭りの斎主は本校の起点となる大阪府皇典講究分所の教授で、難波神社・枚岡神社宮司の「武津(ふかつ)八千穂(やちほ)」氏、その人で武津は、国学を本居豊穎(とよかい)に和歌を陸奥宗光(むつむねみつ)の父親の陸奥千広に学び、渋沢が明治41年東京の皇典講究所の理事を務めていた時には文学博士をしていたというスゴイ人物で、今でいう最高のインテリジェンス人物である。旧制浪速中学校は創基をこの大阪皇典講究所としており、今回揮毫をお願いした枚岡神社の当時の武津宮司とその後人となる今の中東宮司の関係から私はこの字句を頂いて新中学校棟2階応接室に掲げることにしたのである。次の百年に向かってこの「勤即不匱は浪速中学校の特別なワード」とする。