2025年3月4日火曜日

氷雨の中を「ヤマタノオロチ」が飛んできた!

 遂に伝説の生き物「ヤマタノオロチ」が富山県から飛んできた。雨中の移動である。寒い氷雨の中を悠々とやってきた。今日は遂に建設中の中学校校舎の入口に飾る「木彫刻」の日本神話「出雲のヤマタノオロチ退治」の名場面を形にしていただいた伝統工芸士の畠山先生と元請の浅野太鼓の浅野社長さんが大型トラックで運んで来て下さった。ゼネコンの南海辰村建設さんの手で既に「下地」は完成しており、そこに取り付けるのであるが何しろ巨大だから、工事業者さん含め、ゼネコン関係者、総出でやってくれた。この「嬉しさ、感激は筆舌に尽くしがたい」。 

これにより本校地を東西に横切る回廊の廊下の西の端「西関門」から東の端「天岩屋戸門」に至る端から端に「神話物語」が完成した。神社神道の学校として一大叙事詩と言って良い。申し訳ないがこのアラウンドではまだ全容を開示するわけには行かない。28日の竣功祭に除幕するからそれまでは白布で覆い隠す。 


中学校棟新築の案段階から私はまず回廊は一本の道に通すこと、そして正式な門である「西関門」入って直ぐの左側に大きな「木彫り彫刻」を飾ることを考えて来た。その完成イメージについてこだわりの強い私には「本当に私が満足する作品」が出来るのかと先行きを心配していた。色々な方法を探したが、やはりここには木彫り彫刻しかないと決めた。基本的に私は「強運な男」で素晴らしい人物を知り得ることが出来た。そのお方が井波彫刻の第一人者である伝統工芸士の畠山先生であった。この先生に会って、私はきっと良いものが出来るという確信に変わって行った。 


それでも何回も打合せし、私自身が富山県の工房まで出張し、現物を見ながら進めてきた。ここには「欄間彫刻」みたいな、「単なる平板彫刻」みたいな物を飾り付ける気は毛頭なかった。「躍動感溢れる立体化した作品」であって欲しいと念願していたが、それが今目の前にある。彩色後の作品は今日初めて「お披露目」となった。やはり色彩を付けた方が見栄えがした。品格があるのが殊の外嬉しい。 

中央館回廊を抜け、東館との境界は「天孫降臨の高千穂の峰がガラス絵」で飾られており、その境界を抜けると東門前の左面は「天の岩屋戸伝説が壁画」として描かれている。又回廊の中央部分には「天御柱」があり古事記の序文が薄墨で書かれている。古事記、日本書紀が描く日本神話の柱は以上の「天孫降臨」「天の岩屋戸」に加えて「八岐大蛇」伝説が来る。この三つがハイライトであり、神社神道の学校として残った最後の一等地に私は「ヤマタノオロチ(八岐大蛇、八俣遠呂智、八俣遠呂知)」伝説を彫刻で飾ったのである。これで一連の東館、中央館、NS館、西館(新中学校棟)が「一体化して繋がり」の学校は大きな塊に変貌する。これらが正面の学院神社の後ろから取り囲むように屹立している。 




昨年の12月5日、福井、石川を経て富山に至る出張はとにかく氷雨の中で寒かったが、今日も氷雨の中で冷える日となった。大蛇はこの寒さが好きなのである。風光明媚、温かい陽射しよりか、「風が強く雨が降る寒さの中でこその人生である」と我々に教えてくれているのだと私は思った。この私が驚くくらい「迫力に満ちた」彫刻の主役は天照大神の弟君である「スサノウの尊」であり、三種の神器になった「草薙の剣」、そして日本最初の夫婦と言われる「クシナダヒメ」そしてヒール役として「八匹の大蛇(おろち)」が絶妙な配置で名人の手で作品となっている。さも息遣いが聞こえてくるような、この彫刻は未来永劫、浪速学院を見守ってくれる。