2023年5月13日土曜日

学校は何時もと変らず淡々と

 仮に開校100周年の一連の行事が有っても、無くても、学校は普通通りの「落ち着いた」状況にあったと思う。生徒も教職員も何処にも「浮いたような」感じは無かった。この点が本校の良い所だと思う。個人的にはもう少し「高揚した感じ」があっても良いと思うが今の若者は「熱い」のを好まない。「クールが格好良い」のである。この間、ほんの少しだけ「気分的に尋常で無かった」のは私だけかも知れない。敢えて言えば常務理事、高校校長、それに高校教頭2名、事務長、事務長補佐の6名は顔には出さないが「理事長の思いに応えて立派に、見事に」と管理職として相当気が張っていたと思う。そうだ、それに指導教諭のY先生と総務部長のI先生の二人が頑張ったことも忘れてはならない。 

急遽降ってわいたような1か月前頃に部屋に呼ばれ、理事長から「ダイジェスト版夢の軌跡」の作成指示が出て、印刷締め切りとの闘いで相当な気を遣ったと思う。それは私が直接「あれこれ」リードしたからである。しかしこれらも「結果良し」で手前味噌ながら先人とお世話になった周辺の人々に「良い周年行事をお見せすることが出来て」、本当に良かったと思う。陰の主役の一つにあの周年誌も入るだろう。寺井名誉理事長の寄稿文である「木村理事長と浪速改革」が大きな評判を呼んだ。既に4月30日から2週間経ったが私の感じはまだ先日のような気がしている。しかし学校は通年通りの行事が普通通りに粛々と進んでいる。「淡々と」。一昨日、11日は「浪速中学校塾長様対象の学校説明会」があったのだが、何と参加してくださった人数は昨年の2倍を超えており、極めて嬉しいニュースだった。未だ上昇気流に乗っていることは間違いない。 


今日は、硬式野球の春の大会で対戦相手は日本一になったこともある興国高校戦で10時から興国グランドであった。当然応援に出掛けた。30日の奉祝祭にもご参列頂いた草島理事長先生とはご厚誼を頂いている府内私立中高連盟のリーダーである。帰る時にわざわざ先生のお好きな「コーヒーを是非飲んでください」と言われ一箱も頂いた。良い試合であった。試合の結果は惜敗したが遠山監督になって初めて5回戦に進みベスト16だった。夏には更に良い成績を残してくれるだろう。3年ぶりに「多聞尚学館での学習合宿」が今日から始まった。高校2年生の英国数ハイレベル講座だ。教員4名、生徒80名が楽しそうに雨の中を出発した。 


そして本日の14時30分から「令和5年度PTA役員の実行委員会」があった。先の奉祝祭には1000万円もした「3尺胴大太鼓」を寄贈して頂いた。PTA会長と除幕したシーンが懐かしい。今日は「6月3日に行われる予定のPTA総会」の予備会議であり各委員会役員選任、予算、決算などが審議された。私は冒頭参加し先の一連の行事におけるご協力とご支援に感謝申しあげ記念品として今回初めて作成し、お客様にお配りした「朱印帳」と工夫を凝らした本校独特の生徒に配布した「クリアファイル」をプレゼントしたのである。朱印帳の「祈願の文字」は不肖私が書いた。今、中々評判の良い御朱印帳で、ご家族で旅行や遠出されたときにお詣りした神社で朱印を頂けば記念になると思う。皆さんからは「ワ~」と言って喜んで頂いたのである。





2023年5月12日金曜日

開校100周年、ロングラン公演の大詰め

 「開校100周年記念式典」も遂に「大詰め」となった。「おおづめ」とはご承知のように芝居の最終の幕、また場面の事であるが、「大切 (おおぎ) り」と言う事もある。転じて物事の終局の場面、最後の段階を意味する。即ち一つ劇の、最後の幕や場面、又物事の最終段階にもいう。従ってこの1年間、「ロングラン」の本学院開校100周年の一連の行事や場面を劇だと思えば昨夜の「法人役員と教職員の合同祝賀会」はまさに大詰めであった。そして見事に終幕となった。参加者は大阪を、浪速を代表するソウルフードにもなった「551の豚まん」をお土産に豊かなお気持ちで帰宅につかれたと思う。これは本校の恒例となっている光景である。私も会場となったスイスホテル南海大阪を後にして徒歩で5分のマンションに豚まんの袋を持ちながら帰宅した。 


会場となった空間は同ホテルの「浪華の間」、それを「浪速」が使って、定刻に始まったドラマはまず学院曲「海道東征浪速」を上映し、映像を目にし、音曲を耳に入れながら司会の開始の言葉を待った。会は始まり、まず当日朝「永年勤続表彰」を受けた5人の先生方を皆さんにご披露申し上げた。皆さん、私が教諭から管理職に育て上げた優秀な人ばかりである。その後4月1日に着任した新任の30人の先生方を壇上に上がって貰い私は熱く「ネクスト100年、新たな浪速ヒューマンヒストリー」の始まりと述べながら、激励と歓迎の言葉を発した。その後理事長としての挨拶がきた。感謝の言葉しか言うべきことは無い。そして大阪神社庁の藤江庁長からお祝いのお言葉と乾杯の音頭をとって頂いた。







会は進み、美味な料理に舌鼓を打ちながら皆さん、歓談だ。私は総勢195人の26テーブルを全て回ってご挨拶した。とにかく皆さんは先の奉祝祭、式典、祝賀会の話題で持ち切りであった。東京からは「湯島天神」、大阪を代表する「大阪天満宮」「住吉大社」「枚岡神社」「今宮戎神社」「菅原神社」「茨木神社」「布忍神社」「杭全神社」「堀川戎神社」等々24のお宮の宮司様がご出席いただき、盛り上がった祝賀会になった。成功は人間の心を最も豊かにする。だから勝たねばならない。成功しなければならないのだ。 





宴もたけなわになり神道歌手の「涼恵」さんが2曲、「豊葦原の瑞穂の国」と「中今」を鈴の如き美声で歌って頂き、会場を盛り上げてくれた。そして最後は私よりも長い期間、本校の理事を務めて頂いている南坊城先生に締めのご挨拶をして頂き幕は閉じた。私は「やり切った」と思う満足感が身体中を満たしていくような感慨にとらわれた。「大詰めが決まる」ということはこういう事なんだと全教職員も理解し身に付けて呉れたと思う。各部門、各担当はこの1年間、通常の仕事をしながら、この「特別プログラム」を見事にやってくれた。「有難う!」






2023年5月11日木曜日

お一人お一人に「奉祝金」を手渡す

 9日、8時から法人役員と管理職を集め、記念式典に係る約1年間のご労苦に対して慰労と感謝の言葉を述べた。そして私は一人一人に対して「開校100周年の奉祝金と記念品」を手渡した。「組織は管理職で持ち、管理職で機能し、組織の成果が出る」ものだ。本校の管理職は皆さん優秀で私は幸せ者だ。能力だけではない。大切なことはお人柄だ。次いで昨日10日には一般教諭に対してこれ又、お一人お一人に奉祝金と記念品をお手渡しした。心から感謝と慰労の言葉を込めて「縁あって今、このように同じ職場に属し、一緒に働いていることへの幸せを噛みしめ、今後とも頑張って欲しい」との言葉と願いを込めて手渡したのである。一般教諭は人数が多いものだから、一人ずつ言葉を添えると約3分間はかかるから合計2時間を超えて「立ちっぱなし」だった。流石に最後は脚にきたが、此れが出来なくなったら最早理事長では有り得ないと思い最後まで頑張った。 



奉祝金の基準は当初から一律支給などは決めていなかった。当然であり勤務経験が2年の先生と30年の先生が同じ金額であることの方が可笑しい。種々の基準を考えたが「教職員の寄付金に応じて支給」することを決めた。100年の歴史を有する学校であり30年以上も勤務し年収は極めて高い先生と2年前に専任教諭になった20代のまだ給料が少ない若い先生とが同じ寄付金であるとは考えても居なかった。その寄付金に応じて「3倍返し」を基準と考えたのである。即ち10万円のご寄付を頂いた先生には30万円の奉祝金である。30年以上も本校で働き生活の基盤が出来た先生がまさか若い先生と同じ金額か、それ以下などは想定していなかったが、中にはそのような人が3名ほど居たので驚いたが、これらの先生には寄付金と同額の奉祝金とさせて貰った。最高の寄付金は50万円で最も低い寄付金は1万円であった。平均すれば11万円相当であったが、奉祝金総額は軽く3000万円を超えた。 

そして今日は「永年勤続表彰」の日であった。3月末で退職した中学校校長のN先生を含めると合計5名の表彰対象者であったが、何と全ての人が管理職に就任されている。高校校長、前中学校長、高校教頭、中学教頭、高校指導教諭と本当に能力高い人々である。今日は「18時半からスイスホテル南海大阪で一大祝賀会」があるのでその席でお披露目になる。内規に応じて「金一封」を手渡したがこれらの金額よりも長い奉職で現在の地位があることが重要である。長い奉職期間は能力と実績があれば、当然「報酬と地位」が付いてくるものだ。先生方は本校で「働いた過ぎし日を」を誇って良い。今後とも健康に気を付けて頑張って欲しいと思う。 

私は「一連の開校100周年記念事業の資料関係」を集約し後世に残すことを決めている。記念誌は残っていても「裏台本」などは霧散して残っていないのが普通であるが、今回は絶対に脚本や費用なども全て後世に残す。産経新聞は5月2日に、大阪日日は昨日素晴らしい記事を紙面に飾ってくれた。我々の気持ちを代弁してくれたこれらの記事も長く保存し後世に伝えたいと思う。さて今日は最後の大イベントである「教職員の慰労祝賀会と歓迎会」があり、法人役員もご出席くださる「195人の大宴会」である。これが終われば私は「ほっと」一息つけるだろう。



2023年5月8日月曜日

5月8日 生徒にも記念式典の雰囲気を伝えたい

 今日は「一斉参拝」の日であった。しかし4月30日の開校100周年記念式典がどのような状況で行われたか、私には生徒に伝える義務がある。「生徒を大切にする」ということはこういう事を言うし、ここが私立学校の拠って立つ処だと思う。今後ともこの点は教職員、少なくとも幹部教員は分かっておいて欲しいと思う。単に神様からの下さり物、「直会」の品物だと本日渡すだけでなく、その前提となる大切な事を伝える、教えるのが教育である。30日で終わったことにはならない。今日で終わったのだ。 


私は朝登校後、奉祝祭から式典、祝賀会の様子が分かる写真を十数枚用意して貰い、次に祝賀会で使った生徒ばかりの出演である「グッドスクールNANIWA」の映像を上映して貰った。静止画については私から注釈やコメントを付けてお客様の反応なども良く分かるように話した。会場は式典で各方面から頂いた「祝い花」を並べ、雰囲気を醸し出した。会場の設えも重要であり、生徒の食い付きようは極めて良かった。 



加えて単に言葉だけで「100年を祝う」メッセージだけではなくて、間違いなく生徒にも記念の品物が要る。「生徒がいればこその学校」だ。これで生徒は自分の学校に益々愛着を持つようになるだろう。「大切にされているという自覚は自分を大切にする」ようになる。自分を大切にするようになれば「他人をも大切に思う」ようになるものだ。アンリ・シャルパンティエ製の焼き菓子一箱と特製クリアファイルのセットを3000個用意し代表生徒には直接私から渡した。合計金額は900円程度であり100年に一回だと思えば安いものである。 




その後の学院長講話では今日の8日から新型コロナ感染症の扱いが5類になり対応が大幅に変わるがあくまで自分や大切な人を守るとの自覚で「Withコロナ」を詳しく説明した。その後従来、春秋の例祭や一斉参拝時に「報鼓」として使っていた中太鼓を空手道部に譲る旨を話し、「撥」を主将と副主将に渡して一斉参拝は終了した。 


以上で開校100周年記念行事は一切終わったことになる。午後から「拡大校務運営会議」を例外として「8階の図書館」にて開き、私は幹部教員に対してこの1年間の準備作業と当日の素晴らしい仕事ぶり、成果に心から謝意を示した。何故に図書館で行ったかと言うとこれも100周年記念事業なのであるが、「デジタル図書館の先駆け」ともいうべき新しいデジタル装置を図書館に置いたからである。詳しくは又別途書こうと思う。まず校務運営会議のメンバーに初めて正式に説明して今後の活用を図っていく。


10日には教職員に「奉祝金」と「記念品」を個人別に私から手渡し、11日には教職員だけが対象の慰労会を実施する。場所はスイスホテル南海大阪で今後はこのような大きな懇親会場はこのホテルが主軸になるだろう。南海電鉄から幹部役員が本校の理事に就任頂いているし、今回も南海電鉄グループからは極めて多額のご寄付を頂いている。お付き合いとはこういう事を大切にすることだ。

2023年5月7日日曜日

4月30日 2人の陰の功労者

 今回の「開校100周年記念祭」は学校法人のプロジェクトである。幸い校内理事は私と常務理事、高校、中学の校長も理事である。従って一連のプログラムでは両校長をトップとする学校全体のプロジェクトとして、「全員総出」で対応する事が出来、結果として大成功裏に終わったと思う。私は全教職員に心から感謝申し上げる。5月8日に「一斉参拝」がありその時にまず生徒にお祝いの品とケーキを「直会」の品としてプレゼントする段取りになっている。そして最後の最後になったが5月10日に教職員の皆さんに感謝の気持ちを込めて学校法人から金一封「開校100年奉祝金」を一人一人に受け取って貰う。3月理事会で既に確認されている。そして翌11日にはスイスホテル南海大阪で全教職員、一部法人役員出席の元、「一大祝賀会第2弾」を行う。汗をかいてくれた教職員を心から慰労するのだ。  

 





それにしても今回の式典で大きな評判を勝ち取ったのはMC役を務めた本校情報科教諭の三浦早絵さんだ。皆さんが激賞された。「声が良い」「間の取り方は極めて自然で心地よい」等々称賛の嵐だった。最初から私はプロの司会者を雇うのではなくて「自前の司会者」に拘った。それで彼女を抜擢したのだが見事に期待に応えてくれた。「度胸」がある。式典の最初は映像ではないから「生の声」で進めなければならない。司会台についた彼女の最初の言葉は以下のようなものだった。(前略)三浦早絵と申します。私は本校が共学になってからの第9期生であり、当時の木村校長から入学・卒業の許可を頂きました。在校中も様々なご指導を頂き、本校の教諭として戻ってくるようにご指示を頂いたことにより今日に繋がっています。100周年というこの善き日に司会としてここに立たせて頂くことを心から嬉しく思い、感謝の気持ちをもて務めさせて頂きます。どうぞ宜しくお願いいたします。(後略)

 


最初は本校に事務職員として採用したが仕事は情報企画部に属し、「学校たるもの」を学んでもらった。前職がIT企業だから情報分野には強い。それで2年目の昨年には「情報教育の教員免許」を取得して貰った。そしてこの4月からは常勤講師として職分は事務職から教員職に改めた。名実ともに「学校の先生」になった。今後の飛躍を大いに期待致したい。皆さんから信頼され、親切で優しく、派閥や仲良しグループを作らず、母校の教員として終生頑張って欲しいと思う。「遺言?」


 許される字数が少なくなったが、もう一人の人物は神道科の辻林教諭で、彼もまたOBだ。奉祝祭では陰に回って良くぞ務めてくれたと思う。理事長に寄り添い、又あれだけの雅楽部のメンバーを集め、豊英秋先生と話を詰めて舞楽「太平楽」を皆さまに御覧頂いた功績はすべて彼に属する。若い時にあえて府外の神社に奉職し、「外部での苦労」も経験している。将来は叔父様が奉仕されている神社の宮司になるだろう。彼は皇学館大学の卒業であり、本校神道科の専任教諭に私が採用した。彼の良いところは人間的に幅があって、又「情報に極めて強い」ところだ。大きな失敗が無ければ本校で将来は開ける。同じ大学の先輩であるM高校教頭も神道科出身だ。M教頭の信頼に応えるべく、「ただひたすらに彼に仕えよ!」これが言いたいことだ。「遺言?」