9日、8時から法人役員と管理職を集め、記念式典に係る約1年間のご労苦に対して慰労と感謝の言葉を述べた。そして私は一人一人に対して「開校100周年の奉祝金と記念品」を手渡した。「組織は管理職で持ち、管理職で機能し、組織の成果が出る」ものだ。本校の管理職は皆さん優秀で私は幸せ者だ。能力だけではない。大切なことはお人柄だ。次いで昨日10日には一般教諭に対してこれ又、お一人お一人に奉祝金と記念品をお手渡しした。心から感謝と慰労の言葉を込めて「縁あって今、このように同じ職場に属し、一緒に働いていることへの幸せを噛みしめ、今後とも頑張って欲しい」との言葉と願いを込めて手渡したのである。一般教諭は人数が多いものだから、一人ずつ言葉を添えると約3分間はかかるから合計2時間を超えて「立ちっぱなし」だった。流石に最後は脚にきたが、此れが出来なくなったら最早理事長では有り得ないと思い最後まで頑張った。
奉祝金の基準は当初から一律支給などは決めていなかった。当然であり勤務経験が2年の先生と30年の先生が同じ金額であることの方が可笑しい。種々の基準を考えたが「教職員の寄付金に応じて支給」することを決めた。100年の歴史を有する学校であり30年以上も勤務し年収は極めて高い先生と2年前に専任教諭になった20代のまだ給料が少ない若い先生とが同じ寄付金であるとは考えても居なかった。その寄付金に応じて「3倍返し」を基準と考えたのである。即ち10万円のご寄付を頂いた先生には30万円の奉祝金である。30年以上も本校で働き生活の基盤が出来た先生がまさか若い先生と同じ金額か、それ以下などは想定していなかったが、中にはそのような人が3名ほど居たので驚いたが、これらの先生には寄付金と同額の奉祝金とさせて貰った。最高の寄付金は50万円で最も低い寄付金は1万円であった。平均すれば11万円相当であったが、奉祝金総額は軽く3000万円を超えた。
そして今日は「永年勤続表彰」の日であった。3月末で退職した中学校校長のN先生を含めると合計5名の表彰対象者であったが、何と全ての人が管理職に就任されている。高校校長、前中学校長、高校教頭、中学教頭、高校指導教諭と本当に能力高い人々である。今日は「18時半からスイスホテル南海大阪で一大祝賀会」があるのでその席でお披露目になる。内規に応じて「金一封」を手渡したがこれらの金額よりも長い奉職で現在の地位があることが重要である。長い奉職期間は能力と実績があれば、当然「報酬と地位」が付いてくるものだ。先生方は本校で「働いた過ぎし日を」を誇って良い。今後とも健康に気を付けて頑張って欲しいと思う。
私は「一連の開校100周年記念事業の資料関係」を集約し後世に残すことを決めている。記念誌は残っていても「裏台本」などは霧散して残っていないのが普通であるが、今回は絶対に脚本や費用なども全て後世に残す。産経新聞は5月2日に、大阪日日は昨日素晴らしい記事を紙面に飾ってくれた。我々の気持ちを代弁してくれたこれらの記事も長く保存し後世に伝えたいと思う。さて今日は最後の大イベントである「教職員の慰労祝賀会と歓迎会」があり、法人役員もご出席くださる「195人の大宴会」である。これが終われば私は「ほっと」一息つけるだろう。