高校は昨日から、中学は今日から「中間試験」である。この時の校内は至って静かで緊張感のある、私の最も好きな時間である。生徒は何とか良い点を取ろうと勉強するし、先生方は試験監督や採点と言う重要な仕事がある。学校法人は30日の理事会・評議員会に向かって、「令和3年度の決算確定」というこれまた神経を使う仕事がここ1カ月ほど継続している。私もこの決算理事会は1年の締めくくりであり、理事長としての責任を問われる理事会だけに神経を使い、良い決算を出し、全役員からの高い評価を期待するべく頑張っている。その為に今、自ら資料を作成しているところである。それにしても先週の「中学校3年生との修学旅行」は特別に記念に残るものとなった。私は学校に戻って来て以来、「或る事」をずっと考えていたが、今朝決断した。
それは、来年の4月30日に学校法人浪速学院は「創立100周年」を迎える。決断した中身とは、この日に「記念碑の除幕式」をし、皆様にご披露する。「その記念碑は何か?」。近代日本の夜明け、明治維新の原動力は水戸、薩摩、長州、高知、福井、全国の津々浦々の地方から胎動し、この萩の地もその一角を担った。旧制浪速中学校ではないが今現在の浪速中学校の生徒がコロナ禍で3年振りに再開した修学旅行で「萩の地で萩焼を体験」した。一旦変態点以上に火を通された土は二度と原土には戻らない、「未来永劫続く」ものである。私は生徒が粘土と闘っている窯元の「城山窯」さんで、神様のお導きともいえる作品に遭遇した。陳列していたその作品を見た時に私は微妙な身体の震えを感じた。素晴らしいオーラを感じたのである。それは「祈り」に似たものであった。この作品で「記念碑を」と思ったのである。
「祈り」とは、宗教によってそれぞれ、意味が異なるが
世界の安寧や、他者への想いを願い込めることであり、一言で言えば「利他の精神」である。自分自身が心の中の神と繋がり、特別な存在、超越した存在、神や仏などに対して、報恩感謝し、又何かの実現を願うことである。別の表現として祈願や祈祷(きとう)、あるいは、儀式を通して行う場合は礼拝(れいはい)という言葉もある。祈りは世界共通の概念であり、最も基本的な宗教行為や民間信仰の一つであるとも言え、祈りという活動は、人間の社会において普遍的である。
萩から学校に戻ってずっとあの作品の事が頭から離れず、思い切って萩市の工房に電話し正式に譲渡を依頼した。感触は良好であり、もし実現すればこれを100周年記念碑として学院神社の御垣内は恐れ多いことなので御垣外に設置するのである。PTAから何か100周年記念品を贈呈したいと言われているので今回は「祈り」の記念碑とする。10年前の90周年時には「鼉太鼓」を頂いた。今中央館入口に燦然と輝き置かれている。100周年は「祈り」の焼き物としたいと思う。神社神道の学校に相応しい言葉である。素晴らしい設置台を作り、その上に「祈り」の銘板がついたあの作品を飾るのである。何とか私の手で実現したいと思う。時間は十分にある。今朝ほど設置する場所も決めた。