「不走時流」という言葉に心を動かされた。中学3年生の修学旅行に付き添って山口県萩市に行き、5月18日、萩焼の大家、三輪窯、13代三輪休雪先生のご自宅を訪問した時に玄関先の碑に有った言葉である。同じ言葉が扁額にされて通された客間の欄干、鴨居に掲げられていた。焼き物の話に夢中になり、三輪先生にこの言葉の意味を直接お聞きする機会も無かった。後日調べてみると、この言葉を揮毫されたのは明治維新の立役者のお一人でもあった時の太政大臣、三条実美公と私は知った。
寛文3年(1663年)、初代 休雪が萩毛利藩に召し抱えられ、「三輪窯は御用窯」となり、天和2年(1682年)に現在の地に移った。代々、三輪窯は「独自性を発揮する窯元」であり、明治維新の後に毛利藩の後ろ盾を失っても窯の火を絶やすことなく萩焼の技法を守り革新性を加えながら今日まで続いている。十代
休雪(休和)の時代に、八代 雪山が三条実美公からこの言葉を贈られ、家訓とされたと言う。爾来三輪窯は「不走庵三輪窯」と称するようになり、初代から13代まで実に360年もの長い間、不走庵
三輪窯はその伝統を守りながら「革新」を続けている。
革新のお家だからこそこの言葉の意味は重たい。「時代に流されず常に己の考えを重んじて進むこと」だと教えてくれていると思う。私は「やるべき事をやっておれば、急がずとも時は流れる」と解釈した。我が人生、今まで「走って、走って、とにかく変える」為に生きて来たようなものだが、人生の晩年になってこの言葉が妙に心に訴えるものを感じる。改革、革新にはいかに内面の確固とした「信念、強さ」が人間には必要であるかということである。私は三輪先生に対してお礼状をお出ししたが、その一部はこの扁額に対して、“先生に意味を質問する時を失いましたが、この意味は「走らずとも 時は流るる」と自分勝手に解釈しています。革新の窯元である三輪家の家訓が温故知新、不易流行の言葉を含蓄しながら、これらを超越して不走時流の域に到達している精神性に殊更私は新鮮な心のやすらぎを与えられ、私の残り少なくなっている今後の生き方まで諭して頂いた感じです。”
今日は浪速高校3年生対象の「進路ガイダンス」の日であった。今のI進路指導部長、優秀な人物であり、常に形を変えて企画に工夫を凝らし、生徒への受験意識と努力を高める熱意は尋常ではなく私は高く評価している。彼もまた革新の人物である。今年は会場を二カ所に分けて、学年の科・コース別に分けて行った。一つは堺市の産業振興センターを使って、もう一つは校内において同時進行で実施した。特に面白かったのは「大学イノベーション研究所所長の山内先生」の基調講演であった。「将来の進路の考え方」と称し、「行ける大学ではなく行きたい大学へ」と題し、いかにも心強いお話であった。生徒を鼓舞するには格好のお話でこのフレーズは何時も私が使っている言葉だ。
このグループは国公立大学や偏差値の高い私立を狙っている生徒対象である。これらのグル-プは週の明けた30日の月曜には「大学キャンパスツアー」と称して約10大学をバスで往復する。遠い所は鳥取大学などがある。当初私はこの提案を受けた時に「日帰りで行けるの?」と聞いたくらいだ。ガイダンスで話を聞き、希望する大学を自分の目で確認する行為は尊い。常に革新性を持ち、ぶれずに努力する人材に神様は応援してくださる。一方の堺会場では校長、進路指導部長以下総出で対応されていた。100を超える大学関係者が入れ替わり、立ち代わり自学のガイダンスを一生懸命にされていた。会場は目を輝かせて生徒は聞き入っていた。自分の人生をようやく本気になって考え始めたのだろう。大変結構である。「自分を変えて行かねばならない。変えることが前に進むことである。」