2025年10月4日土曜日

さすがに「山崎製パン」(株)は素晴らしい会社だった!

 本校中央館6階の天空レストラン(通称6R)の新装なった「焼き立てパンショップ・ブル」にパン生地を納入してくれている山崎製パン(株)の松原工場の幹部とご担当の方に学校に来て頂き、「今後の本校の方針と協力をお願い」し、会談はそれは、それは見事に進み、まるで業務提携の話しかと思わんばかりの素晴らしい面談だった。本校のような「見事な展開をスピーディに進める学校さんは初めてです!」とお褒めの言葉を頂いた。その意味だったのかどうか、お土産に「なんと山のような特別な調理パン」を頂いた。これはスーパーにおろしていない直営店のみの販売品だと言われた。その数に驚いた私はこの会社の「懐の深さ」に驚き、今後パートナーとしてのお付き合いにしていきたいと申し述べ受け止めて頂いた。「千人力、万人力」を得た感じがした。 


スーパーで見かけ、運搬車が良く街中を走っている山崎製パン株式会社は、東京都千代田区岩本町に本社を置く日本の製パン企業で、製パン業界で日本国内最大の会社である。フジパングループ本社、敷島製パンとともに製パン大手3社を構成するが、世界ではメキシコに本拠を置き北米・南米に展開するグルーポ・ビンボに次ぎ世界第2位の規模である。1948年、飯島藤十郎氏が千葉県船橋市で「山崎製パン所」を開設したのが始まりで、配給小麦の製パン加工委託をコッペパンから始めた。菓子パンなどにも拡大し、食糧管理制度下で製パン業が厳しく統制された時代から今日に至るまで、創業者の飯島藤十郎氏の系統で事業は継続された。この間法的規制で飯島の名が使えず、妹の嫁ぎ先の姓である「山崎」名義で許可が漸く下りた。商号が「山崎製パン」となったのはこの経緯によるとある。 

それにしても山崎製パンのご協力が無ければわずか9月1日のオープンから1カ月間で我々のショップは成り立って来なかったことは間違いない。生地を間断なく納入して頂いた。私を含め関係者は深く感謝している。矢張り「大手は違う」ことを痛感した。人材が揃い心意気が凄い。加えて「浪速教育振興(株)(NEP)」が結んだ雇用契約のパン作り人材が大成功だった。これは学院神社の大神様のご加護である。全て女性であり、S店長代理、調理担当としてM,H、Hさん、そしてPTAからのご奉仕として販売担当の2名の6人でここまで頑張ってくれた。お人柄、能力、経験、持ち場持ち場で責任感溢れる仕事ぶりが大成功に結び付いたと思う。 




オープン当日のあの生徒の殺到、20日の浪速祭では3000個がわずか90分で完売となり、24日には理事・評議員にご試食して頂き後日味の評価の電話があまたあった。そして付け加えないと行けないのは事務局として事務室のYさんと入試広報部のMさんの二人が現場のやりやすいように「獅子奮迅の働き」をしてくれた事だ。理事長の私もこの二人ともパン製造には全くの「ずぶの素人」であるが、学習し調査し、人の話をよく聞いて勉強してくれた。特に現場のS店長代理とNEP事務局長のYさんの二人は「阿吽の呼吸とリーダーシップ」で成果をもたらした特筆すべき立役者だと思う。 


現場の方々と言い、この本校職員の2名と言い、仕事はやはり「組織力・チームワーク力」で結果が出るものだと改めて思い知らされた。さて次のテーマはサイン・コサインカーブで動く学校の宿命である「繁忙期と休閑期」の内、休閑期の間に入れる「焼き立てパンの外販事業」の展開だ。目玉は「浪速学院神恩 食パン」(仮称)の販売と美味は当然として幾分ゴージャスな特別外販用「調理パン」の製造である。11月初旬には表通りに面した北辰門辺りに販売用のワゴン車が並ぶだろう。その光景を想像している。楽しみである。

2025年10月3日金曜日

歌声の聞こえる学校は良い学校!

 少し遡るが9月19日秋季例祭の日は中学校の「第13回目となる合唱コンクール」の日であった。もう13年も経ったかと感慨深い。当時、中学校校長兼務だった私が「歌声が聞こえる学校は良い学校」との信念で始めたもので、元々は浪速祭のプログラムの中に入っていたものだが、総合的に検討して昨年は浪速祭が終わった後にやるようにし、今年は秋季例祭の日に変えた。中学校サイドのベストのタイミングを検討し続けている。中学全学年共通の行事であり、保護者ご招待で課題曲と自由曲の2曲でのクラス対抗の形であるから、いやがおうにも盛り上がる。今や浪速中学の名物行事となった感がする。

 

浪速中学校は「今、注目の中学校」となりつつあり、「新校舎の建設」も今年の3月には竣功した。歌うと「幸せホルモン」が分泌されると物の本にあったが、副交感神経が優位になるだけではなく、セロトニンやドーパミン、エンドルフィンといった「幸せホルモン」が分泌されるらしい。これらのホルモンは精神安定の効果があり、幸福感や満足感を感じやすくなると言われており、絶対的に歌うことは体に良いとある。私もそのように思う。生徒皆が仲良く、いじめなどの無い学校になったのはこの合唱コンクールの成果の一つかも知れない。 


とにかく子どもも大人も心と身体の健康には「うた」がいい。指揮もピアノも生徒が主体で、最後には山本教頭の指揮で「教員合唱」があった。これがこのコンクールの伝統で生徒は大喜びであった。さすが先生方でろくに練習時間も無かったと思うが見事なハーモニーを醸し出していた。良い合唱コンクールだった。一言で言えば「品格の高い合唱コンクール」であった。この品と言うことを大切にしている私は殊の外嬉しい。この主担当である音楽科のW教諭は何時もながら「カチッ」とした「生徒指導と物事の運び能力」であり、この先生の「手腕」が大きく成果に結びついていると何時もながら思う。教科指導のみならず、円滑な学校行事の遂行にかかせない先生である。 


音楽教育は、子どもたちの感性や創造力、社会性、学業成績を向上させるために不可欠であり、その重要性は感性と創造力の育成に繋がり、音楽を通じて自分の感情を表現し、他人の感情を理解する能力が養われると言う。その結果、①社会性の向上②学業成績の向上③文化理解の促進④自己表現とストレス軽減等々学術的にも証明されている。私はあらゆるジャンルの歌が好きであるが、特に「演歌」を主体に自分で声を出して歌うことで精神的安定を保っているのかも知れない。

令和8年度入試の中学校入試のプレテスト申し込み数が伸びてきている。昨年度は168人と言う新記録の入学者数となったが、現時点で昨年を超える勢いになっている。受験生には浪速中学の生徒になったら「合唱コンクール」が待っていると伝えたいと思う。「楽しい学校だぞ!」。

2025年10月2日木曜日

本校のチャンピオンクラブ「空手道部」

 「女房と畳は新しい方が良い」という表現は、封建時代のもので、現代の今に使われることは無くなった。それでも昭和時代のおじさんが(私もそうだが)、同僚と安酒場で愚痴ったりするときに耳にしたこともあるが今はもうない。政治家がこの表現を使うと一挙にマスコミに叩かれ選挙では間違いなく落選するだろう。元々は新鮮さや新しさを重視する考え方を示している表現で、新しい畳が持つ清潔感や心地よさ、そして新しい関係性がもたらす新鮮な気持ちなどを肯定的に評価する意見を表していると理屈を言っても「アウト」である。私はこういう場合、伊勢神宮の式年遷宮の「常若」を使っている。 

昨日武道館の空手道場「錬武館」の畳を全て取り替え、その授与式に出て、真新しい畳の香りを嗅ぎながら部員たちを激励した。久し振りの道場で現在部員数108人は元気一杯迎えてくれた。この背景は先の第52回全国高等学校空手道選手権大会(インターハイ)で浪速高校が「3年ぶりに7回目の男子団体組手で総合優勝、女子団体組手で準優勝の栄冠」を勝ち取ってくれた褒章で丁度古くなった畳を入れ替えてあげようとの判断をしたものである。何事も意味や意義ある時にする方が効果は大となる。

 

最もこれだけではなく先月には全国を制した中学生も含めて部員全員を「焼肉食べ放題」に招待し、仲間で同じ料理を同じ時間帯で食べるという最も幸せな時間を過ごして貰ったし、全国大会に出た選手には「道着のプレゼント」もするのが本校の形である。道着と言っても前身ごろの裏には理事長の名前が小さく刺繍されており、常に理事長学院長に見守られ闘っているのである。

 

このように「頑張れば何かが自分の周辺に起きる」という一般社会の約束事みたいな事を例え部活動でもあるのだと知ることは人生の大きな志に繋がるし、良い思い出にもなる。「よくやったね!おめでとう」の言葉だけではなくこのように具体的にそのクラブが必要としていることを学校法人が用意するから生徒も一つの目標として頑張れるのではないだろうか。決して物で釣っているのではない。これも教育なのである。 


そのように思いながら私は決して小さなお金ではないが今後とも継続してやっていく積りだ。栄冠を勝ち取れば人は認めてくれる。そうするとスパイラル的に部の雰囲気は良くなっていく。そこには指導者と部員との信頼関係の醸成があり、先輩は後輩を可愛がり、後輩は先輩を慕う。その感じがすこぶる心地良いのである。素晴らしい指導者に専用の稽古場を有し、全国制覇を成し遂げた空手道部は今や本校の「チャンピオンクラブ」と言って良いと思う。次の目標は男女アベック優勝であり、大いに期待致したい。このような新しい畳が入り、豪華で機能的な4面もある道場は日本全国何処にもないだろう。まず学校に誇りを持ち、仲間を大切に一心不乱に稽古に励み、次の栄冠に向かっていけと私は大いに激励した。空手道部と「道」を遣う以上、練習ではない。稽古である。一に稽古、二に稽古、三四が無くて五に稽古だ。


2025年10月1日水曜日

一斉参拝、学院長講話:一般論としての体罰の話し

 今日は10月1日、「一斉参拝」の日であった。もう20年近くやってきているから、形は出来ているが、馴れではなくて、何時も「緊張感」を持ってやっている。気温は間違いなく下がってきており朝夕は爽やかさを超えて幾分の肌寒さを感じる時もあるが、今朝はまだ暑かった。神道世界ではこの毎月の1日を「朔日」とも書き、重要視している。10月はスポーツの秋で18日が「中学校の体育大会」、29日は「高校の体育祭」が予定されている。「行事消化型社会の典型」と言われている学校であるがこの運動会、体育大会、体育祭的なものが無い学校も少ないだけに自ら廃止すると宣言するには社会の、世間の声は未だ大きくはない。生徒も保護者も未だに秋の時候を楽しむ学校行事になっている。個人的には「もう学校でする必要があるか」という気持ちもある。 


参拝の後の「理事長・学院長講話」では冒頭まず「衣替え」の話から入って行った。高温多湿の日本では文化として、暑くなる前の6月、寒くなる前の10月に着ている洋服を変える文化であるが、地球温暖化で今朝も涼しいとは言えない気温であり、移行期間を2週間程度設けると話した。これが冒頭の「つかみ」の部分である。次に私は「焼き立てパンコーナーの改装」に当たって生徒から多大の協力を貰ったお礼を言い、10月の適切な時に「ピザ」の販売も開始する旨話した。そして6Rを生徒にも広く保護者や学校に近い人々の為に開放していく一環として「6R全体を文化活動の拠点」とすべく動く旨話した。ピアノ演奏会合唱や独唱などまた絵画や書道の作品なども展示するコーナーを設けるとした。 


そして生徒や教職員には耳の痛い話になるが「SNSの利用の仕方」というか、「SNSの一般教養的」な話として注意を喚起した。そして教職員には体罰問題について敢えて強く言及し、指導を行った。タッチな問題だけに言及するかどうか一瞬悩んだが私は踏み切った。そして一斉参拝の後の学院長講話は生徒向けだけではなくて教職員も対象であることを今回明確に述べた。生徒を教える教員は当然校長や理事長・学院長から指導を受ける立場でありこの点を再度徹底したのである。「学校教員の体罰問題」については古くて新しい問題であるがこれは文部科学省初等中等教育局児童生徒課の行政法令であり学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰等に明文化されている。本校では学校設置者として教員による体罰と教職員と女生徒との私的交際は絶対に許されないと明言した。 

私も公立高校の校長時代、そして私立高校の校長経験も含めて20年以上現場の中にいたが、多くの体罰を見聞きしてきた。その結果「教員が体罰を行う心理」には、いくつかの要因が考えられるという事だ。言えることは、まず、体罰は教育的指導の一環として行われる理屈であり、教員はその効果を期待している場合が圧倒的に多いと思う。しかし、体罰の効果は必ずしも期待通りでないことが多く、逆効果になることの方が多い。問題は教員の中には、体罰に教育効果があると知ってか知らずか、「カッ!」として手が出る教員がいることで、これが最も事態を複雑化しており、後で教員が泣く様になっても私とてその教員を救済出来ないことだ。私情も交じって本当に「涙が出る話し」で全てが終わる。 

この学校の管理者として、又最終意思決定者が体罰を一部容認するようになったらその学校は終わってしまう。教員は「自分の権力感を示す手段」として咄嗟に手が出るなら、それは「生徒の私物化」であり、「自己ワールド」に囚われているからで、そのような考えで私は教員に生徒を負託しているのではない。体罰的な言動が許されるのは「自己防衛の原理」で、 教員が自分を守るために体罰を行うことがあるかも知れないが、そのようなケースは殆どない。体罰は根絶しなければならない。要は体罰を正当化する理屈は今やどこにも一切、何もないのである。