2025年10月30日木曜日

公開授業と奉仕料授与

 今日は3限目に「公開授業」があった。私が楽しみにしているものの一つである。凡そ学校とは本来というか、本質的に「教師が教室で授業」をして、それを受ける生徒に知識や考え方を教え定着させる場所である。これ以上もこれ以下でもない。ここが揺らぐと最早そこは学校ではなくなり、単なる生徒の居場所と化してしまう。それ位授業とは大切なものである。「校」とはずばり学校、まなびやそのものであるが、写本の文字の誤りを較べ正す、校正することの意味があるし、その他「あぜ」と読ませる。校倉という言葉は 切り口が三角形の長材を縦横に交差させて積みあげる意味であり、何か生徒に教えることを意味していると考えると「校と言う字」は興味深い。


 今日は本校に入職して3年目の数学の男性のF先生の授業であった。数学という学問では日本でもトップレベルの大阪公立大学、同院卒の先生で今日は「微分積分」の基本的な考え方をじっくりと生徒に教授していた。過日解いて貰った大学の入試問題はほぼ満点に近いスコアで数学に関する限り力量は相当なものである。そう、高校の数学の先生と言うより、大学の教養学部で数学を教える准教授みたいな感じを私は受けた。板書とICTを駆使し、声量や練習問題に取り組む姿勢とか、生徒に丁寧で親切な教え振りなど大変良かったと思う。授業の後は私の部屋で「講評」があるのだが、勿論及第点であったが、私は私事を含めて様々な視点で質問をさせて頂き、思う処を述べた。「初心忘れず」で今の理性的な味を残しながらより幅の広い先生になって頂くようなポテンシャルをお持ちだと強く感じた。 


午後からは雅楽部と神楽部の「奉仕料授与式」があった。これはアルバイトではなくて神社神道の学校として例祭などで学院神社の大神様へ「奉納」するためのグループである。確かにクラブ活動の扱いにしているが本質は奉仕であり、従ってこの両部は校長先生の管理下にあるクラブと言うより学校法人管轄の奉仕団と言える。部員数も多くなり、何時も現役の宮司である本校役員の方々は「素晴らしい、うらやましい」と言って下さる。最近では名前が知れわたってきており近隣のお宮さんから奉納演奏のお声がかかるようになった。私はこの両部は本校のみで抱え込むのではなくて広く府内の神社にて活動の幅を広げて欲しいと思っている。