2023年5月6日土曜日

4月30日祝賀会②同窓会長の涙

 「祝賀会」はいささか興奮状態で始まったのではないか。まず所定の席につこうとされない。歓迎の意味を込めて、正面壇上の横にてパイプオルガンの音色となるクロダートンを担当教諭が弾いていても会場は「ワイワイガヤガヤ」で、あちこちで名刺を交換したり、久し振りの邂逅に話が始まっている。MCの三浦が「皆様、それではお席におつきください、・・・」など言っても一向に収まらない。ようやく最後の曲目になる頃に静まった。コンパニオンが色々と飲み物や食事を運んでくる。しかししばらくするとまた会場はいささかの興奮状態になってしたがこれはもう仕方がない。想像するに「奉祝祭」と「記念式典」の中身に酔われたのではないかと思う。それは皆さんが私の所に来て「舞楽は初めて」「あのヒューマンヒストリーだけで全てが分かった」「女子の空手道演武には度肝を抜かれた」等々一方的に話してこられるのである。 







予定時間は当初1時間程としていたがそれは余りにも短いので1.5時間に延長したがこの間本当に最初から最後まで盛り上がった。私などは料理を口にする間もなく、大切な人々の席を回ったりしてご挨拶した。デザートの時間になれば最後の映像の上映となっており、これがまた素晴らしかった。タイトルは「Good School NANIWA」の5分41秒の動画だ。理事長や教職員は一人も登場せず全て生徒によるダンスと笑顔であり、全クラブも登場して神社前から教室、廊下を踊りまくる映像で、これがまた感じが良く、特に最後に「Good School  Good School」が画面に出て決してエクセラントな卓越した学校とか、ただ進学実績を誇るだけの学校ではなくて、「文武両立」で、生徒一人一人が「良い学校」だと訴えているような笑顔の弾け、躍動感あふれた映像で私も壇上に上がり踊りたかったがさすがにこれは止めた。最後に生徒全員による「人文字」を見せてくれたのである。 





乾杯の音頭は中高連会長の辻本先生、最後の締めは浪速学院同窓会会長、東京の湯島天満宮の押見宮司で何か会長は涙交じりのご挨拶であった。会長は寄付金が300万円であったが私に電話してきて理事長より多く出すわけにはいかない。幾らした?」と聞かれたのでお答えした。又今日の開校100周年を以って会長職を勇退したい」のご意向を予てよりお持ちで、その思いが万感胸に迫り涙となったと私は確信している。会長まだまだ、今後とも宜しくお願いしますと私はご挨拶を聞きながら心の内で叫んだのである。




 
今回、ご用意したお土産は全員に「天孫降臨芋焼酎900ml1本」「バームクーヘン箱入り」「開校100年記念品」であるが、すべて高島屋外商部の手配である。記念品は3種類あり、申し訳ないがVIP,寄付金の多寡で異なる。従って結婚式の引き出物のように「お一人お一人」名前を付けてあらかじめテーブルの下に置いておいた。そのほうが時間短縮になるし間違いがないからである。祝賀会が終わっても皆さん、お帰りになるタイミングは遅れ、また私の所に来てお話しされたり記念写真を撮ったりで大変だったが、こちらも高揚しており最後のお一人が見えなくなるまで会場に立っていた。私と飯田校長はまたその晩、フィリッピンからわざわざ訪日してくれたパーペチュアルヘルプ大学」の総長のご接待でミナミのウナギ屋さんに急いだのである。長い1日であったが、長いとは思えず、体中に力がみなぎる感じがした。1年の、いや着任以来15年間準備してきたお祭りだ。すべてが無事に済んだ後で心に湧いてきたあの気持ちは何んて表現したら良いのだろうか?




4月30日祝賀会①学校の食堂で祝賀パーティをするの?

 いよいよ最後のプログラム、「祝賀会」に移った。もともとこれは原案にはなかった。連休ゆえに早くお客様を解放して差し上げるべきだとの考えがあったからである。しかし学校法人浪商学園100周年、四天王寺学園100周年などのお祝いにご招待頂いた私は市内高級ホテルでの会場で美味しいお料理をご馳走になっていた。本校だけが「お持ち帰り箱弁当で良いのか」との疑問がわき、逡巡したが、急遽中央館6階の天空レストランで「会食制とお弁当の2分割方式」にするように決めた。席数の限界もあるからである。全ての仕切りはこの20年、本校がよくよく利用していた「天王寺のシェラトン都ホテル」に決めた。神社界もこのホテルが多い。奉祝祭や式典では「あれほどお金を使っているのに・・・」などと思われる人はいないと思うが確かに「大切な人と時を同じく美味しい料理を口にする」時ほど幸せなことはない。「金をケチった」と思われるのも心外であり、終わってみてやはり会食祝賀会をやって良かったと思っている。 



会場となるいわゆる学校の生徒食堂には自信があった。このような豪華な食堂を有している学校もあるまい。課題は祝賀会とお祝い弁当の区切りをどうするかであったが、これは案外と簡単であった。判断基準は本校にとってのVIP、例えば神社本庁、伊勢神宮、そしてご厚誼を頂いている私立学校関係者を優先し、次は寄付金の多い方を祝賀会会場にご案内することにした。勿論当初からご希望を伺っており、そのご意向を優先した。箱弁当と言ってもシェラトンホテル製のものだからそれなりに豪華である。寄付金の基準は50万円で1名とし、例えば100万円以上のお方は2名の枠とした。会場はゆったり配置するとしても160席が限界であり、そのようにして席の配置を決めていったのである。しかしこれは事務長主担で、最後は私も常務も事務長補佐も加わり、席の配置を決めたが「すべての人が大切なお人」で本当に苦労した。 



極めて広い6階の天空レストランの椅子テーブルはすべて外に持ち出し、シェラトン都ホテルの丸テーブルを持ち込み会場の設えをおこなった。わずか数時間で撤去、そして会が終了後元の状態に戻したのが夜の8時だったから、やはり「司は司、餅屋は餅屋」だと思う。教職員の手だけでできる筈もない。勿論料理はシェラトンのフルコースだから料理単位の配りと引き下げは「ホテル直轄のコンパニオン」がサービスしてくれた。これが慣れない教職員がしようものなら美味しい料理も旨くは感じなくなっただろう。多くのお客様は「旨かったね」「素晴らしい料理だった」「サービスも良かった」とのお声を頂いたことは嬉しいことだった。 

「ノンアルコールパーティ」も珍しいが、ここは学校でありお酒は出さなかった。アルコールのないパーティもやってみて「悪くなかった」と思う。最近はこの種の会で酔って「ろれつ」が回らず、態度が急変する人などは見かけないが、いずれにしても酒は必ずしも必須ではなくて、ノンアルコールでも十分、気分は高揚できる。その代わりと私はお土産の一つとして「天孫降臨芋焼酎900㎖」をお持ち帰り頂いた。パーティでのお酒に代わるものとして良かったと思う。かくして祝賀会は始まったのである。 



本校で最も私の近くにおり、右腕とも頼りにしている宮木常務がこの分野の責任者としてややこしい業務をすべて仕切り、ホテル側との交渉、会場設営など業者さんと話を詰め、見事にやり切ってくれた。高く評価したいと思う。

 

2023年5月5日金曜日

4月30日記念式典④「校歌斉唱」と映像「NANIWA NEXT 100」

 映像「海道東征浪速の吹奏楽部員の演奏」、映像「開校100年ヒューマンヒストリー」、次いで「理事長挨拶」「女子空手道演武」と順調に進行台本通りに進んできた「記念式典」も終盤である。次は本校「校歌の生徒による合唱」であった。あのパンチある空手道演武の直後ゆえに、やりにくかったと思うが生徒たちは一生懸命に歌ってくれた。卒業後もやはり生徒たちを繋ぐのは校歌だと思いプログラムに入れたのである。作詞はOBの藤本義一先生で作曲は私が府立高津高校時代から存じ上げている「ジャズピアニスト」としては大変有名な先生で93歳になられる。後期高齢者の人間にとっては憧れの先生である。是非更に更に長生きをしていただき本校のように100年をとりあえず目標にしていただきたいと思い、今回、演奏をお願いしたのである。 



生徒は自治会、軽音楽部、合唱部の混声で大塚先生からは学校に来ていただき練習に励んだ。指揮は本校音楽家の教諭である脇村先生、ピアノは大塚善章先生、なおこの日のために私はヤマハのC5を新しく購入し、つい28日に入荷したばかりで新品である。「まあ、記念だ。買うか!」と決断したのは前のピアノがもう50年近いのと、この開校100年の日に「卸したピアノ」という事実は後世記念になると思ったからである。生徒たちの素晴らしい歌声、新しいピアノ、大塚先生、指揮は脇村先生、美しいハーモニーであった。

 そして最後のプログラムは映像「100周年記念事業新中学校校舎の建設とNANIWA NEXT 100」であった。時間は4分39秒。当初はMCの三浦さんが務める予定であったがここはやはり中学校の教諭にして貰う良いのではないかとの意見が出てきて、私も即座に了承した。担当は中学校の理科の教諭で、進路教務部長、何より新校舎建設チーム長に任命した先生で私は大いに期待している人材だ。お声も悪くなく、映像を用いながら校舎の外観と内部を映像が進んでいくという極めて分かりやすい構成で、見ている人々には容易にどのような校舎かご理解頂けたと思う。とにかく今までないような校舎を建設する。奉祝祭の後の私に「新校舎建設宣言」にて触れたように100年前の旧制浪速中学は校舎も借り物で開校された。黄泉の国で見守ってくれている先人は何よりこの新校舎建設を喜んでくださると思う。 







しかし我々の歩みは決して止まることはない。武田先生は最後に浪速NEXT100に向かって教職員一致協力して頑張っていくと述べてくれた。まず今日の式典が行われえた体育館を「浪速アリーナ」にすべく既に次の100年は始まっていると力強く宣言してくれ、開校100周年記念式典は滞りなく幕が閉じられた。私は安堵と幸せな気持ちが胸一杯に充満することを自覚した。そしてお客さまを誘導しながら祝賀会場となる中央館6階の天空レストランに向かったのである。

 

4月30日記念式典③世界チャンピオン、女子空手道選手による「団体形」の演武

 今回の式典、すべてのプログラムの中で、完全に「見せつけた」のは次の空手道演武である。奉祝祭の「舞楽」も実に見事であったが、それでも尚この女子3人による「形」の演武は見ている人々を惹きつけ、感動を与えた。この様子を見ていた私は内心「我が意を得たり」とほくそ笑んだ。彼女たちは昨年11月、まだ高校3年生の時にトルコで実施された第12回世界ジュニア&カデット部門の21歳以下の空手道選手権大会で見事に優勝した浪速高校女子空手道部の選手たちである。この演武を見ただけで今の浪速をすぐにご理解頂けると思ったのである。

 優勝し、凱旋帰国した運動部の競技は、(そうは言っても殆どが空手道部なのであるが)その選手たちの演武を「浪速武道館」にて拝見するようにしている。その時に3人の演じた形が「美しく、力強く」大げさに言えば「女性の時代の到来」を強く本校でも感じた。それは感動に近いものであった。「そうだ、これを式典に入れたい、これを御覧頂くだけで共学の浪速」が言葉は要らずとも、お分かり頂けると考えたのである。私は隣にいた高校校長にこの演武を来年4月30日の式典でご披露できないか検討するようにお願いし実現したのである。先の東京オリンピック空手道競技のコーチに就任し今や全国的に名の知られた監督今井先生の育てた女子の空手道の選手である。必ずや彼女たちは式典でも見事な技を見せてくれると信じていたが、彼女たちはその期待に見事に応えてくれ、私は歓喜した。 


後刻始まった祝賀会会場でも私のテーブルで主賓となる方々は言葉を尽くして「素晴らしかった」「感動したね」「あの寸止めが胸に突き刺さった」等々と称賛の嵐であった。常日頃は余りお話が少ない神社本庁の田中総長は最初から最後まで空手の演武ばかりのお話で、「生まれて初めて女性の空手道を見た」が、あのような迫力あるものだったのかと言われていた。あの強烈な演技は御覧頂いた方々全てに後々まで記憶に残るものとなっただろう。 



選手のお名前は神嵜美桜、福岡夢心、清水彩瑚さんでお名前からして素晴らしいではないか。読むのには相当な漢字の知識が要らないか?親御さんの娘さんへの愛情を感じる。司会進行を務めてくれた三浦早絵先生は選手たちを紹介する時「このような素晴らしい後輩を持てて大変嬉しく誇りに思っています」と話していたが、彼女もまた本校を私が入学を許可し卒業証書を手渡した女性である。後述するがこれまた祝賀会で多くの人々から「プロのアナウンサーみたい」と彼女もまた多くの称賛の声を得ていた。そういえば舞楽を演じたのも女子生徒OBであり、浪速学院は今や「女生徒の時代」にあると言っても過言ではない。そういえば今日は5月5日端午の節句であり男の子の日だ。「男子生徒よ、もっと頑張れ!」

 



 

2023年5月4日木曜日

4月30日記念式典② 理事長挨拶

 プログラムは極めて順調に進んだ。これは前に記したように森川教頭の作成した32ページにも及ぶ「進行マニュアル12稿」のお陰である。映像専門の若いハンサムの業者の方に背中を押されて私は正面の舞台中央に進んだ。映像「浪速100年ヒューマンヒストリー」が終わってから直ぐに、司会の紹介などなくて、そのまま一呼吸して出るほうが「恰好良い」と皆が言うものだからそれに従った。会場の皆さんは驚かれたかも知れない。まず深々と頭を垂れて今日の式典に参列頂いた事へのお礼言上から話を始めた。本番前に1回ほどマイクのテストで模擬的に挨拶の真似事はしたが全く記憶にはなく、何時も大体「原稿なし」が私のやり方なので今回も皆さんのお顔を見ながら、その時に感じたことを話したのである。




 

ただ一点、神社本庁長老、大阪神社庁名誉庁長、大阪天満宮名誉宮司、学校法人浪速学院の名誉理事長である「寺井種伯先生とのご縁」だけは必ず話したいと考え、その通り実行した。このお方のお陰で私は今、浪速学院で理事長としての仕事を頂き、このお方のご期待に添いたいとひたすら頑張ってきた。その寺井さんはここ最近、体調芳しくなく「1年前から絶対に行くからな」と申されていたが、奥様とご相談し、10日前にご自宅に伺い式典への参加を取りやめることにしたのである。最も来て欲しかったお人、奉祝祭から式典、祝賀会もご出席頂き、乾杯の音頭を取って欲しかったお人が、舞台から何処を眺めてもいらっしゃらない人間社会の現実に私は思わず話が詰まった。このような経験は初めてであった。

 ただ寺井先生からは「木村理事長と浪速改革」というタイトルで特別寄稿をお寄せ頂いており、この文章が入っている「ダイジェスト版開校100周年記念誌 夢の軌跡」という冊子だけを持って舞台に出たのだが、この寄稿文は私の生涯の宝物になった。このことを参列の皆様方にお伝えしかたったのである。後の挨拶は良く覚えていないのだが、「まず本校の教職員の能力の高さと仕事への取組み姿勢」を称賛し、組織のトップは「自分の言葉で話し、語り」とにかくビジョンを持ち、それを何回も何回も教職員に語ることが必要で「この16年間、本当に良くしゃべってきましたねー」とここだけ砕けた感じで話したことは覚えている。 

別途機会があれば寺井先生の寄稿文を紹介致したいが、人間は期待されている人がいると頑張れるものですねとも話したかも知れない。この小冊子はY指導教諭、I総務部長他のメンバーが短い時間でまとめてくれたもので、本当に感謝に耐えない。浪速改革の全てが寺井先生のお気持ちで書かれたこのわずかA4―、6枚の中に込められている。それにしても理事長挨拶の映像による「浪速100年ヒューマンヒストリー」の終幕で私がスクリーンから消え、間髪入れず、今度は生身の私が舞台の袖から舞台に出てくるというやり方は私にはまったく想像もしないやり方であった。後刻の祝賀会において、日本で制服メーカートップである(株)トンボのF社長さんは「素晴らしいかったですね、何かトヨタの豊田社長みたいでした。このやり方を会社創立70周年時に頂きます」と言われていた。







4月30日開校100周年記念式典①「映像による浪速100年ヒューマンヒストリー」

 奉祝祭の後、新校舎建設宣言を済ませた私は来ている服を和服からスーツに着替えるために部屋に戻った。御来客は係りの案内で会場となる体育館に移動するので、その間を利用してのチェンジであり、神職の方々や本校の神道科の先生方も急いで装束から式服に着替えた。そして会場も変わり、「第二部記念式典」に移ったのである。広い体育館だから余裕ある席の配置で見た目にも豪華な設えという感じが28日の下見で感じた。そして正規の体育館の正面舞台に引っ付けて「一段低い第二部舞台」を造った。これは正面の大スクリーンに映し出される映像の邪魔にならないように考えたもので、結局この舞台を使ったのは私一人であったから少し贅沢な思いもした。そして正面向かって右側には後述する「女子空手道部の演武」のための畳敷きの演武台もこの日のために設置していた。

 




まず式典の前に開式に先立ち、本校の学院曲である「海道東征浪速」が本校吹奏楽部員がものを映像によってスクリーンに映し出したのである。全8章であるが30日は第1章「高千穂」第3章「御船出」と制限したのは時間制約のためである。それでも時間は7分20秒。このように短い時間の時は主人公映像で動画を流すやり方もあるなと感じ入った。この時のスクリーンには長いご厚誼を頂いている現役の神職で歌手でもある「涼恵」さんがリサイタルの時に使われた日本全国の古事記所縁の神社の映像をお借りした。吹奏楽部員の奏でる学院曲と古事記物語の映像が同時並行でお客様の目と耳に飛び込んでいったと思う。素晴らしい企画だったと自画自賛している。


 

まず「国歌の斉唱」が来て、ここでようやく本日の理事長としての挨拶となるのだが、すぐに正面舞台に出て「皆様、本日はお忙しい中を、・・・」などの挨拶などは最初から考えていなかった。もう一人の高校教頭である出口先生のアイデアであるが、まず映像で「開校100年の人間群像と浪速改革」をビデオで流し、その後「理事長が登場する」という風にしたいとの企画に今回は徹底して「教職員の担ぐ神輿に乗る」ことを覚悟していた私は承知した。ビデオの脚本は映像会社の社長さんと出口先生である。市内某所のスタジオに乗り込み、一回のみの収録で「OK」を貰った。映像会社の方々やカメラマンは「一回で済むなんて、あの人はプロみたい」と聞かれたそうだ。 

上映中、袖に控えていた私は「後2分後です」「はい、1分後です」と秒単位で言われながら、係りの人にマイクを付けられ、その時間になった時に背中を押されて正面右から下舞台に出たのである。何か新製品発表会のプレゼンターの役者さんみたいで面はゆい感じだったが、「ビビる」ことなど全くなく、話す内容も一回ごとに違うので原稿などなくて「ダイジェスト版開校100年史 夢の軌跡」を1冊だけ持って舞台中央に進んだのである。そう、式典冒頭の主催者たる私の挨拶は2部構成になっていたのである。MC役の三浦さんの音声入れなど本格的なビデオはここでも何回も追加を要望する理事長の要望に応えてくれた。この映像は「夢の軌跡~浪速100年のヒューマンヒストリー~」のタイトルで上映時間は20分27秒。式典のトップを飾るものとして「最高の映画」を良くぞ制作してくれたと映像会社さん、出口教頭とMCの三浦さんに深く感謝している。この映像がどのようなものかは生徒や教職員はじめ保護者やご参列以外の方々にも是非御覧頂きたく別途本校のHPにでもアップすることを検討したいと思う。