2023年5月4日木曜日

4月30日記念式典② 理事長挨拶

 プログラムは極めて順調に進んだ。これは前に記したように森川教頭の作成した32ページにも及ぶ「進行マニュアル12稿」のお陰である。映像専門の若いハンサムの業者の方に背中を押されて私は正面の舞台中央に進んだ。映像「浪速100年ヒューマンヒストリー」が終わってから直ぐに、司会の紹介などなくて、そのまま一呼吸して出るほうが「恰好良い」と皆が言うものだからそれに従った。会場の皆さんは驚かれたかも知れない。まず深々と頭を垂れて今日の式典に参列頂いた事へのお礼言上から話を始めた。本番前に1回ほどマイクのテストで模擬的に挨拶の真似事はしたが全く記憶にはなく、何時も大体「原稿なし」が私のやり方なので今回も皆さんのお顔を見ながら、その時に感じたことを話したのである。




 

ただ一点、神社本庁長老、大阪神社庁名誉庁長、大阪天満宮名誉宮司、学校法人浪速学院の名誉理事長である「寺井種伯先生とのご縁」だけは必ず話したいと考え、その通り実行した。このお方のお陰で私は今、浪速学院で理事長としての仕事を頂き、このお方のご期待に添いたいとひたすら頑張ってきた。その寺井さんはここ最近、体調芳しくなく「1年前から絶対に行くからな」と申されていたが、奥様とご相談し、10日前にご自宅に伺い式典への参加を取りやめることにしたのである。最も来て欲しかったお人、奉祝祭から式典、祝賀会もご出席頂き、乾杯の音頭を取って欲しかったお人が、舞台から何処を眺めてもいらっしゃらない人間社会の現実に私は思わず話が詰まった。このような経験は初めてであった。

 ただ寺井先生からは「木村理事長と浪速改革」というタイトルで特別寄稿をお寄せ頂いており、この文章が入っている「ダイジェスト版開校100周年記念誌 夢の軌跡」という冊子だけを持って舞台に出たのだが、この寄稿文は私の生涯の宝物になった。このことを参列の皆様方にお伝えしかたったのである。後の挨拶は良く覚えていないのだが、「まず本校の教職員の能力の高さと仕事への取組み姿勢」を称賛し、組織のトップは「自分の言葉で話し、語り」とにかくビジョンを持ち、それを何回も何回も教職員に語ることが必要で「この16年間、本当に良くしゃべってきましたねー」とここだけ砕けた感じで話したことは覚えている。 

別途機会があれば寺井先生の寄稿文を紹介致したいが、人間は期待されている人がいると頑張れるものですねとも話したかも知れない。この小冊子はY指導教諭、I総務部長他のメンバーが短い時間でまとめてくれたもので、本当に感謝に耐えない。浪速改革の全てが寺井先生のお気持ちで書かれたこのわずかA4―、6枚の中に込められている。それにしても理事長挨拶の映像による「浪速100年ヒューマンヒストリー」の終幕で私がスクリーンから消え、間髪入れず、今度は生身の私が舞台の袖から舞台に出てくるというやり方は私にはまったく想像もしないやり方であった。後刻の祝賀会において、日本で制服メーカートップである(株)トンボのF社長さんは「素晴らしいかったですね、何かトヨタの豊田社長みたいでした。このやり方を会社創立70周年時に頂きます」と言われていた。