「祝賀会」はいささか興奮状態で始まったのではないか。まず所定の席につこうとされない。歓迎の意味を込めて、正面壇上の横にてパイプオルガンの音色となるクロダートンを担当教諭が弾いていても会場は「ワイワイガヤガヤ」で、あちこちで名刺を交換したり、久し振りの邂逅に話が始まっている。MCの三浦が「皆様、それではお席におつきください、・・・」など言っても一向に収まらない。ようやく最後の曲目になる頃に静まった。コンパニオンが色々と飲み物や食事を運んでくる。しかししばらくするとまた会場はいささかの興奮状態になってしたがこれはもう仕方がない。想像するに「奉祝祭」と「記念式典」の中身に酔われたのではないかと思う。それは皆さんが私の所に来て「舞楽は初めて」「あのヒューマンヒストリーだけで全てが分かった」「女子の空手道演武には度肝を抜かれた」等々一方的に話してこられるのである。
乾杯の音頭は中高連会長の辻本先生、最後の締めは浪速学院同窓会会長、東京の湯島天満宮の押見宮司で何か会長は涙交じりのご挨拶であった。会長は寄付金が300万円であったが私に電話してきて理事長より多く出すわけにはいかない。幾らした?」と聞かれたのでお答えした。又今日の開校100周年を以って会長職を勇退したい」のご意向を予てよりお持ちで、その思いが万感胸に迫り涙となったと私は確信している。会長まだまだ、今後とも宜しくお願いしますと私はご挨拶を聞きながら心の内で叫んだのである。
今回、ご用意したお土産は全員に「天孫降臨芋焼酎900ml1本」「バームクーヘン箱入り」「開校100年記念品」であるが、すべて高島屋外商部の手配である。記念品は3種類あり、申し訳ないがVIP,寄付金の多寡で異なる。従って結婚式の引き出物のように「お一人お一人」名前を付けてあらかじめテーブルの下に置いておいた。そのほうが時間短縮になるし間違いがないからである。祝賀会が終わっても皆さん、お帰りになるタイミングは遅れ、また私の所に来てお話しされたり記念写真を撮ったりで大変だったが、こちらも高揚しており最後のお一人が見えなくなるまで会場に立っていた。私と飯田校長はまたその晩、フィリッピンからわざわざ訪日してくれたパーペチュアルヘルプ大学」の総長のご接待でミナミのウナギ屋さんに急いだのである。長い1日であったが、長いとは思えず、体中に力がみなぎる感じがした。1年の、いや着任以来15年間準備してきたお祭りだ。すべてが無事に済んだ後で心に湧いてきたあの気持ちは何んて表現したら良いのだろうか?