4月1日に職員会議が有って以来、100周年記念行事の準備等で無かった職員会議が約2か月ぶりに開かれた。本校では今や職員会議が持つ学校としての意思決定や情報の共有と言った重要な機能は極めて薄くなっているが、それでも理事長・学院長が「自分の声で、自分の言葉で全教職員に同時に語り伝える場」としての職員会議は大切と考えている。幾ら校内のネット環境が完全に整備され、全勤務員が同時にパソコンで情報を共有できるとしても理事長の声の高さ、イントネーションをそれぞれの人が「我が事」として感じながら聞くチャンスは職員会議しかない。加えてトップがその意思を伝える方法は「重層化」が望ましい。22日には学年主任、分掌長を集めた「校務運営会議」を行い、翌23日には校長、教頭だけの「管理職ミーティング」を持ったのも目的は重層化であり、階層によって当然中身は微妙に異なる。
今日の職員会議でも私は極めて多くの事を語った。一々細目は書かない。ただ全教職員に開校100周年の一連の行事が見事に終了し、これらは全員の総合力の成果で私は感謝の気持ちと慰労の言葉をまず最初に口に出した。そして100年目は通過点として最早過ぎ去り、今日は100年と25日であると語った。今後浪速学院に勤務する教職員は「浪速 次の100年に向かって」がテーマであり、まずそのキックオフが「6月12日の新中学校棟建設の地鎮祭」であると述べた。更に学校を進化させ、社会の負託に応えて行くためには一人一人の教職員が「プロの職業人としての覚悟を決め、目標を持ち日々努力する」ことを期待する旨を述べた。100周年という一大行事を見事に済ませた我々の進むべき方向はあらゆる面での「グッドスクールへの道のりの確認と中身の点検、そして実現」であることを強調した。
最近、しみじみと次の演歌が身に沁みて来る。作詞・作曲、森進一さんの「昭和・平成・令和を生きる」という歌だが発売は確か2020年6月だったと思う。歌詞の言葉一つ一つが胸に迫ってくるのである。彼は1947年11月生まれだから75歳になられたのか。私も昭和に生まれ、平成、令和と生き続けている。そういえば前述した3人の専任はすべて平成のお生まれである。若い!若さは武器である、その武器を活かしてこれから何十年も本校で頑張って欲しいと思う。「長く生きてこそ人生になる」。本校で働いている若い教職員にこの歌を贈りたい。歌詞の一言一言を噛みしめて欲しい。
森進一 歌「昭和・平成・令和を生きる」
ひとつひとつの 時代を越えて
長い人生 生きてきた
浮世の風に さまよいながら
昭和 平成 令和を生きる
今日の日があることに 感謝して
笑顔で行こう
思い通りに 行かない人生
悔んでみても 仕方ない
何度もカベに ぶつかりながら
昭和 平成 令和を生きる
限りあるこの命 大切に
希望を胸に
誰でもみんな わずかなことで
あとの人生 変わるのさ
波乱万丈 運命(さだめ)のなかで
昭和 平成 令和を生きる
涙あれ 笑いあれ 癒しあれ
我が人生に