2023年5月1日月曜日

4月30日「最後の最後まで完全を追い求める」

 連休であるが記憶の正確さのある段階でアラウンドを書くことにした。「備えあれば憂いなし」「準備万端」などの言葉があるが、1年かけて「用意周到」に準備してきた「開校100周年記念行事」の実践結果についてまとめておきたい。話を元に戻せば、昨日の4月30日、内外のお客様をおよそ350人お招きして「奉祝祭、式典、祝賀会」と3部門に分けたプログラムは「無事に」それも、手前味噌ながら「見事に」、想定以上の効果を出して終える事が出来た。今日は5月1日、本校は「創立記念日」として学校は休業日であり、私も休みである。今日から連休の入りだ。祝賀会が終了したのが30日の午後3時前で、興奮冷めやらぬ私は感動の余り、すべての会場を再度、巡ったがすでに撤収部隊の業者さんは片づけに着手し多くの手が入っていた。

高揚した気分も落ち着き、ようやく「済んだ!」と今だに安堵した気持であるが、正直、ここまで野球でいえば「完全試合」みたいに仕事を成し遂げた「教職員を称えたい」気持ちで一杯である。「本当によくやってくれた」との思いに尽き、その思いが未だに継続している。しかし後世のために記録は残しておかねばならない。時計の針を29日午後に戻してみよう。実は30日当日の前日夕方15時過ぎに海外の要人を千早赤坂村の「多聞茶寮で午前中ご接待中」であったが、気持ちの半分は明日の会場の準備、お天気のことであり、予定の仕事を終えた私はとにかく学校に急いだ。担当のM教頭から私の動線の再確認、そして会場のしつらえの最終チェックである。 

遡ること28日もそして29日も、両日を使って私は祝賀会場となる場所を視察し最終指示を出した。まず、「新浪速中学校の建設宣言場所」を変更した。ずっと気にしていた30日の天気は雨天だとその時点で覚悟した。ご来賓の頭上にはテントがあり、その位置からでは大きな図面を張っている位置が遠すぎると判断し、前に移動させることを決めたのである。そして祝賀会場ではパイプオルガンの音を出すクロダトーンの位置を演台近くに寄せることを決めた。次に祝賀会場の正面部隊の大幅な変更を指示した。一段高くしている台が狭く、不安定であり、それを縦横2倍に拡張したこと、正面向かって左の壇上に国旗を設置するように指示したこと、金色の織屏風の左右に本校の幔幕を張るのを止めたこと、そして大きな生け花を飾ることの4点であった。演台を2倍に拡張したことに伴い、丸テーブル21個は正面付近を少しだけ後面にずらし、弓なり状に設置するように指示した。



最後の最後まで「良い形」を追い求めるのが私に生き方であり、主義である。「もうこの辺で・・・」と妥協はしない。「完全を追い求める」のは自分をも、そして部下をも追い込んでることは十分承知している。しかしまだ本番前に時間があるなら、妥協せず状況を想定しながらより良い方法に変えていくことは「出来上がり」に大きな影響を与える。それでも完全にはいかないが、その結果を部下の責任にしてはならない。最後は自分が了承したのであるからすべての責任は私にある。このようにして30日の会場設営は進められて行ったのである。30日の全てのパートで結果的に多くのお客様から「賞賛のお声」を頂いたのは最後の最後まで完全を追い求めた努力があったからだと私は思う。最後の最後まで頑張ってくれた管理職と教職員の勝利だと思う。高く評価したい。