「用意周到な準備は勝利への道」というが全くその通りである。プロのスポーツ選手が「練習こそ勝利への道筋」と良く言われているが、重要な行事、試合などは準備や予行演習、猛烈な練習こそ成功への秘訣であり、完全で用意周到な準備をしたところに勝利の女神は微笑んで下さる。今回の一連の行事で私はこのことを今更ながら思い知った。そして「拘り(こだわり)こそ差別化の必須の手段」であることも確認した。簡素な式典も悪くはないが、今回私は徹底的にこだわった。豪華さを競うのではなくて中身での勝負とした。徹底した「おもてなし」の精神を具現化するのだ。世紀をまたがる100周年行事の後の110年、120年などはする必要はないし、100年を超えた学校に余り意味はない。100周年こそ重要でありこれを成功させることが先人に報いることであると覚悟し、費用も予算化しており、「お金がないから」は通用しないとまで述べ、知恵を出せと管理職には厳命した。目的は「浪速改革というもの」をご理解頂き、「100年経った浪速学院の今の姿」をご関係深い皆様に見ていただくことであり、それ以外の目的はないとまで言い切った。従って「後世に残る記念式典」にすると管理職や職員会議で述べたのである。
今から1年前の理事会で1年後の令和5年4月30日、開校以来100周年目となるこの日に行うと報告し確認された。連休の二日目であり、ご案内状をお出しする皆様のご予定は当然頭にはあったが、それでも私は4月30日とした。「この日でなければ意味はない?」とまでこだわったのである。当然欠席者が多く出るかも知れないと想像したがそれでも30日にこだわった。早速実行委員会を立ち上げ、宮木常務理事と飯田理事・高校校長を副実行委員長に指名し、組織は作られた。実行委員長の私が指示した点は以下の通りであったがその後改変したのは④の祝賀会であった。中央間6階のレストランでのノンアルコール食事会とお持ち帰りの2方法に変更した。
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場所は学校 ② 第一部奉祝祭(神前奉告)、第二部記念式典、第三部祝賀会)③ 徹底した映像と音楽による式典(ご来賓のご祝辞等は冊子にて配布)④ お出しする昼食はお祝い弁当をお持ち帰りいただく方式
正直、私が途中で次から次ぎと色々と新しいアイデアを出すものだから実行委員会のメンバーは大変だったと思う。この点はこのアラウンドでも謝っておきたい。しかし前述したように私の「性癖」かも知れないが「ギリギリまで拘って完全さを追求する」のが木村流であり、だからこそお相手に心が通じる。これが差別化であり区別化である。今回の一連の行事がほぼ全てのお客様に「感動みたいな特別な感情」をお持ち帰り頂いたのは教職員の用意周到の準備作業と理事長の拘りだったと思う。
そして全てのパートが完全に、見事に進行したのは「素晴らしいマニュアルのおかげ」である。マニュアルは「進行マニュアル、第一部脚本、第二部脚本、第三部脚本の4分冊」に分かれ、これらを見れば全てが分かる。まさに一流映画の一流監督と一流脚本家の手になるようなものだと私は感じた。修正加筆は12稿までになり、徹底して中身を網羅し作成し全教職員が「共有化」した。これが勝利につながったことは間違いない。私はこの4分冊こそ後世に残すべき資料と考え、そのように計らう。このマニュアルの作成責任者は高校教頭の森川先生であった。お家は神社、自身も神職であり、浪速改革以来常に私の近くに立ち、神道科主任教諭、生徒生活指導部長、教頭補佐、教頭と経験を重ね、今回の式典マニュアルを主軸として作成し進行全般に大活躍してくれた。私の今回の森川教頭のあの頑張りの心中にある思いは人知れず、私だけが良く理解している積りだ。「よくやってくれた。有難う!」