それにしても昔この学校で一緒に働いてくれた元幹部管理職が来てくれたのは極めて嬉しいことだった。皆さん、髪は白くなったがお元気そうで安心した。
今回の進行には随所に工夫を凝らしてくれている。すべてのプログラムを皆様に御覧いただくために極めて多くの「モニター」を用意した。テントの中でも神社前や神楽舞なども完全に映像と音楽で見られるようにした。「何処、何処?何、何?」などと席を立たなくても済むようにお客様への配慮である。まず開式前にモニターにて待ち時間を利用して初代校歌、2代目校歌、応援歌が歴代生徒たちの様子を重ねて作成された映像「浪速学院の歴史とこれから」がモニターに映し出された。時間は12分35秒。そして奉祝祭前のプログラムが続く。奉祝祭はまだ始まっていない。まず3尺大太鼓の打ち始めである。
いよいよ奉祝祭が始まった。神職の参進、修祓、斎主一拝、献餞、祝詞奏上と進んだ。この手順は日本全国どこの神社のお祭りでも変わることはない。次に本校神楽部の「神楽奉納」があったがここで祭式を進める典儀から「尚学の舞」の説明があったが、これについては「物語」もあり別途触れたいと思う。また引き続いてあった「舞楽奉納」についても極めて珍しいことであり、別途のアラウンドで紹介しておきたいと思う。玉串奉奠はまず祭主の理事長たる私、ついで神社本庁の田中総長、神宮大宮司様のご名代、そして神宮崇敬会理事長の4人であった。祭り主の私は当然トップバッターであるが、その後、本庁の総長か、神宮大宮司のご名代か迷い、数人の識者にお聞きしたが、当初予定していた順番が入れえ変わった。お伊勢さんと言えども全国の神社の一つであり、これらを統括する本庁のトップがまず先であることを確認でき、私の考えと同じですっきりとした。案外とこの玉串奉奠の順番は慎重に考えねばならない。
奉祝祭は終わり、次いで「100周年記念碑の除幕」に移った。流れるように番組は続く。今までにも単独のアラウンドで紹介しているが、今から1年前に中学の修学旅行で、この「鉾みたいな」萩焼の焼きものに惹きつけられた私はその場で購入を決め、1年間保管して頂いていた。それをのせる台座が完成したのが4月19日。そして21日に萩焼の陶芸家、金子信彦氏が、自ら届けてくださり、この日台座に据え付けられた。私はこの作品を神社神道の学校に相応しく、「祈願の碑」と命名し神社前の御垣外に設置した。台座にはこの1年、生徒も教職員も胸に着けていた「100周年バッジ」のデザインをこれまた大塚オーミさんにお願いし焼き物にして台座に嵌め込んだのである。この祈願の碑には、相当時間を割いて自ら「祈願」の文字を何十枚も書き、また石屋さんの所に足を運び、台座の設計にこだわった。当初は真っ黒のミカゲ石であったが、どうも「成金的」な感じがして「サンドブラスト」して黒色から灰色に変えた。これにより極めて品格が上がったと満足している。