昨日は全国で新成人を祝う式典が行われた。これに先立って本校ではちょうど今、大学2年生になる卒業生を学校に迎えて「二十歳の集い」を11日に行った。今年で3回目になる。今回は何と381人の出席となった。確か初回は80人で昨年が200人だったと記憶している。まさに倍々で参加者が増えている。この傾向で行くと来年が心配である。6階の天空レストランを隅から隅まで使用しても500人が限界だから、今後どうするか真剣な検討が必要である。場所だけで言えば体育館しかなくなる。
この二十歳の集いの目的は明確で卒業させて2年、大学2年生の彼らがぼつぼつ就職を考えるときに成人式に事寄せて母校に呼び込み、激励するのが第一義であるが私の本音は「母校への求心力」をここで再度確認して貰うという意味がある。卒業して2年、母校に顔でも出そうかなという人間は母校に対して「良い感じ」を有してくれていると勝手にこちらが考えているからだが、この人たちがいわゆる同窓会活動の主力になって欲しいという思いがあるからである。今の同窓会主力はすべての人が男子校時代の卒業生でどうも共学時代の母校とは感じが違うらしい。
実はこのことは同窓会会長や主だった幹部諸氏と話していたことだが、同窓会という呼称も些か古代的で令和の時代になじみが希薄になっていくような気がしている。「令和5年には本校は創立100周年」を迎える。私はこの時までは同窓会の呼称は使うがその後は「校友会」に名称を変更し、主な活動の主力が現役を退き、年金生活になられた方々からもっと若い世代を中心にした組織改編をすべきと考えている。そのための「種まき」が母校で行う二十歳の集いなのである。400人の卒業生を迎えるには相当の準備と費用も掛かっている。大学生は致し方ないとしても彼らが不惑の年、40歳になるときは具体的な母校への支援も期待できるかもしれない。
いずれにしてもこの試みを継続するためにはまず財政的基盤をしっかりとさせねばならない。「試行の3年間が終わった」。令和3年の4回目からどのような形にするのか、担当の管理職に検討するように指示をした。この1月22日には令和元年度の卒業式がある。本日卒業アルバムが完成した。学年主任のI先生はアルバムのタイトルを「新」と名付けている。平成から令和に代わり、学校と卒業生との新しい関係もどうあるべきなのか、じっくり考えるべき時が来たと考えているのだ。