本校役員で親しくしている府内の大きな神社の宮司さんがその昔「木村建設株式会社」と表現したことがある。そう言われれば確かにそうかも知れない。平成19年4月から理事長・高校校長・中学校長を兼任しすべての役職についた私は「さあ、やるぞ!」の掛け声で「学校改革」を進めた。その範囲は文字どおり「全ての範囲」であった。「ここだけ、あそこだけ」と言う方式では間に合わないと考えた私は「聖域無し、同時並行」で改革を押し進めたのである。ハードもソフトもすべてである。その中心にあったのが「建物」「入れ物」「グランド」等々であった。これらはすぐ目に入り、誰にでも分かりやすい。キャッチコピーは「建設の槌音のする学校は良い学校」であった。
しかし実際頭を悩ましたのは人の問題であった。私は意を決してこれからの浪速には不要と考えた人々は退場して貰った。「浪速改革」を推し進めるには、取り合えず「異論を排除し」、トップダウンで方向を指し示し、全員のベクトルを合わせる必要があったからである。改革とはそういうものである。皆の意見を聞いて民主的に選挙で決めるなど「絵空事」に過ぎない。ただし給与は一切下げずコストの削減には重点を置かず、とにかく収入を増やす施策と努力をした。その結果が今の姿である。当然その過程では成果を全組織構成員に目で分かるような「形」を作り出し、改革すれば「こういうものが手に入るんだ!」と教職員に感じて貰わねばならない。これが「木村建設株式会社」であったのである。多くの土地を買収し、建物を購入してきたことか?総額70億円は下るまい。
「多聞尚学館」「千早清明寮」「浪速武道館」「浪速ふくろうベースボールスタジアム」「クラブハウス」「校舎東館」「校舎中央館」「校内グランド芝生化」「西館全面改装」「浪速学院至誠寮」「八咫烏庭球倶楽部」「多聞果樹園・農園」そして、いま工事中の「高天原スポーツキャンパス:乾坤一擲ドリームフィールド(Kフィールド)」で、ここはサッカー、ラグビー、アメフト、陸上トラックのフルサイズの競技場である。もう一つが「多聞楽舎」である。すべてのネーミングも私が一存で決めてきた。アンケートを取ったりしたが、センス的にピタとくる名前は無かったからだ。浪速改革14年間で大体1年に一つづつ作ってきた勘定になる。だから今、本校には昔のものは石ころ一つ、草一本ない。
このうち多聞楽舎は多聞果樹園に隣接した中学校生徒の研修ハウスであり、築70年の古い建物を殆どリフォームする工事で1月6日に着手したが、何としても3月末には完成させる工程で業者さんのお尻をつついている最中である。私はどのハードも手を抜かない。元来建築という行為が好きなのだと思う。新築よりも改造の方が何倍もコストがかかり、時間も要するが学校というのは「地理的関係」が極めて重要であり、学校から遠く離れた場所に新築で建物を作っても意味はない。そして建物は「美的」に作らないといけない。これは私の信念である。今後とも木村建設株式会社は働き続けるのである。近いうちに次の構想をこのアラウンドでもオープンにしようか。とにかく私の学校を後世の為に更に良くしたいという強い想いは果てしないのである。