「去年(こぞ)今年貫く棒の如きもの」
「遠山に日の当たりたる枯野かな」
「春風や闘志抱きて丘に立つ」
良く知られた高浜 虚子(愛媛県松山市生、明治7年2月22日 - 昭和34年4月8日)は、明治・大正・昭和の3代にわたる俳人・小説家である。好きな句は多いが中でも冒頭の3句、とりわけ最初の句が年末年始になると心に響く。川端康成はこの句を見て「禅堂でバシッと打たれたような気になった」と書いているが全くその通りだ。年は変わろうとも心の中の心棒みたいなものは一切変わらない、変えない男の気概みたいな感じが伝わってくる。年の始めにはこの句が私には良く似合う。
今日から令和2年がスタートした。要は本校の「仕事始め」であった。何事も最初が重要である。朝8時から「管理職朝会」次いで「校務運営委員会」その後「高校3年生卒業判定会議」その後「職員会議」となった。いずれの席でも私は“こぞ(去年)”の慰労と感謝、そして今年の展望を述べ、教職員を激励した。その挨拶の中で心の中の「貫く棒の如きもの」について言及した。それは矢張り私立学校として絶対に外せない事、そして浪速学院と言う舞台で自己実現をして欲しいと言うこと、その為には教員としての「至誠、謙虚、努力、忍耐」と言うことを改めて念頭に考えて欲しいと言う3点である。
忙しい合間を縫って年始の挨拶に来られた人々への対応をし、又要件のある教職員が次から次へと部屋に入ってくるからその人たちへの判断を即断即決で決めて行かねばならない。しかしおかしな話で年初の忙しさは全く苦にならなく、束の間の年末年始の休暇で十分に充電出来たことと、平成から令和へと御代替りが極めて順調に進んだことも神社神道の学校として最大の喜びだったことも心の余裕に繋がった。私は年始と言うのは誰でも人間を優しくさせるものだと今更ながら気付いたのである。
さて今日から大学への送り出し、浪速中学、浪速高校への入試作業が始まった。小緊張が続く3学期であるが、貫く棒をしっかりと持って頑張って参りたい。