昨日の新春拝賀式、3学期始業式を粛々と終えて、令和元年度も上手く離陸した。3学期と言う場合には令和元年と言い、新年の拝賀式は令和2年だから言い回しには気を付けないといけない。元年3学期はセンター試験、大学受験、一方では浪速中学校、高等学校の令和2年の入学試験が始まり、これから3か月は令和元年の上手い終息と令和2年の下準備あるいは仕込みの期間だから「神経の使い方」は尋常を超える。しかし今までも上手く乗り越えて来たから何とかなるだろう。
「不易流行」(ふえきりゅうこう)と言う言葉が有る。幾分分かり憎いが要は、いつまでも変化しない本質的なものを忘れない中にも、新しく変化を重ねているものをも取り入れていくことう言う。言い換えれば「新味」を求めて変化を重ねていく「流行性」こそが不易の本質であることである。俳人松尾芭蕉の唱えた俳諧の理念の一つである。私が常に心に言い聞かせている言葉である。「不易」はいつまでも変わらないこと、「流行」は時代々々に応じて変化することと理解すると分かり易い。実は学校と言う場所は最もこの理念から遠い存在である。
学校というところは一度決めたら「ほとんど変えない、変わらない」場所と言い切って良い。化石みたいなものを大切にし旧世紀の遺物を平気で使っているところがまま見られる。私はこれらをぶち壊してきた14年間であった。変えれば見えて来るものはある。一方ではそんなに簡単にクルクル変える場所ではないという意見もあるし、或る面理解しているが、それでも変えないといけない。本質と方法は表裏一体であり、本質は変えてはならないが、方法は時々刻々、時代と共に、生徒とともに変わっても良い。学校の本質は生徒を教育し定着させ人間的成長を図る場所であり、これ教育の目的だ。しかしその人格陶冶の目的に達する方法は幾らでもやり方はある。
私は令和2年度から一部のコース・クラスで展開してきた「0限授業」を廃し、全クラス同じように1限目から同時展開する方向で検討するように今朝がた教務部長に指示を出した。背景には「教員の働き方改革」があるのだが、生徒への強制力を幾分弛めて新学習指導要領で謳うところの「アクティブ・ラーニング」というか「主体的で深い学び」を生徒自ら実践できるようにICT教室を完全整備出来たことも背景にある。「教員の働き方改革とは実は生徒の学び方改革」なのである。生徒自身が自ら目標を持って自らの意思で勉学に励む方向に少し力を入れたいと考えるようになったのである。