2020年1月11日土曜日

「日本人の心・・・楠木正成を読み解く」


遂に千早赤阪村にある本校の「多聞尚学館」が全国区になった。産経新聞は今「日本人の心」と題して全国版にて毎週金曜日、紙面半分を使って特集記事を出している。実は昨年12月初めに通常は取材を受けない私だがテーマが「楠木正成」公だというのでお受けした。それが昨日の10日の朝刊に出たのである。大見出しは「ゆかりの地 私学が伝える理念」とあり、この私学に本校が列挙されている。それも多くの紙面を割いて多聞尚学館が記事になっており、私のコメントも言及されていた。

 
 


私は小さい時から楠木正成を尊崇していた。これは間違いなく両親の影響を受けたからだと思う。父は国家公務員だったし検察一家に属していたから「楠公さん」に親近感を有するのは想像できるが、私の大楠公傾倒は母の影響だ。「智彦、立派な男に成るのですよ。弱い者いじめはいけません。」等々などは今でも耳に残っているし、歌が好きだった母が良く歌っていた「青葉茂れる」や「児島高徳」の歌は今でもそらんじている。小さい時の親の教育の影響は実にそら恐ろしい気がする。

 


敬愛した両親も他界して、その時期が何時の事だったのか、最早記憶も定かでは無くなってきたのは、私自身が人生の終盤に差し掛かっているからだ。しかし最後にこのような教育の世界に関わらせて頂いていることに言いようもない幸せを感じている。最後のご奉仕として浪速学院の教職員と生徒達、今いる生徒とここから巣立って行った生徒たちの頑張りを期待するばかりである。普通は幸せを祈ると書くところだがそれはそれぞれの本人の我慢と努力で自らが手にするものである。幸せなど空虚な文言であり、生きていくということは努力と忍耐である。その結果が願ったものと違ったとしても努力と忍耐が記憶にあれば心豊かになる筈だ。楠木正成公はそのような気持ちで旅立ったと思う。公に生き、公に死んだ楠公はすがすがしく散っていった。素晴らしい人生だったと思う。「私の鏡」である。

 

産経新聞令和2年1月10日朝刊より

ゆかりの地 私学が伝える理念

日本人の心

楠木正成を読み解く

 

 大阪府内唯一の村・千早赤阪村の山間部。楠木(くすのき)正成(まさしげ)が鎌倉幕府軍を迎え撃ち、約100日間の籠城戦を展開した地の一角に、私立浪速学院(高校・中学校)=大阪市住吉区=の校外学習施設「多聞(たもん)尚学館(しょうがくかん)」は建つ。施設の名は、正成の幼名・多聞丸にちなんでいる。

 もともとは廃校になった旧村立多聞小学校だった。そこを購入し、改修して平成21年春に開設した。シンボルは校内に建つ騎馬武者姿の正成像。別の村立小学校(廃校)にあった像を基に3Dプリンターで再現した。本体部分は高さ約15メートル、幅約12メートル、奥行き約05メートル。FRP(繊維強化プラスチック)製で、2912月に設置した。

 生徒たちは、泊まり込みで弱点克服や難関大学を目指す講座を受け、金剛山登山の拠点などとしても利用する。利用者は年間延べ約6千人。コンビニが一軒もない山村は、勉学や鍛錬の場として格好だ。

 「卒業生から『(合宿中は)しんどかったが、仲間と集団生活の中で頑張ることができたのは、貴重な経験だった』という話を聞きます」

 高校教頭の栗林清和さんはそう話す。「学力向上とともに、多聞尚学館が心の鍛錬で貢献していると思います」

 

 <(なんじ)はすでに十歳に余れり。一言(いちごん)耳の底に留まらば、わが教誡(きょうかい)(たが)ふ事なかれ。(中略)今生(こんじょう)にて汝が顔を見ん事、これを限りと思ふなり>

 湊川の戦いに赴く正成が、数え11歳の嫡子・正行(まさつら)に後事を託した「桜井の別れ」を、『太平記』はそう記す。正成は、私の教えが耳に残ったならばそれに背かないようにしなさい、と諭す。その場面は唱歌「楠公の歌」になって、学校教育が始まった近代日本で親しまれた。

 「青葉茂れる桜井の…。母が歌っていた歌を自然と口ずさんでいました」

 100年近い歴史を持つ同学院の木村智彦理事長は、校外学習施設の建設予定地を求めて同村の千早神社近くを歩いていた時をそう振り返る。当初目的としていた施設は諸事情で断念せざるを得なかったが、帰路で偶然、旧多聞小の建物を見つけたという。

 これだ、と思い、正成にちなんだ施設として命名し、正成像を置いたのはすべて木村理事長の発案だ。

 「教育を通じてしか日本は変わらない。その教育で大切なのは『歴史に学ぶ』こと。日本人の心の原点を子供たちにわかりやすく説明する対象としては楠木正成は最適の人物の一人です」

 木村理事長が正成を評価するのは、一途に公に尽くした生き方とともに、その存在が明治維新の立役者たちの精神的支柱となった点だ。

 「戦後、希薄になったのは『公』の精神。これこそが生徒に伝えていかなくてはいけないことだと考えています」。