このような嬉しいことは無い。最近嬉しいことが多すぎて何か怖いくらいだ。「もしもし、突然ですが理事長の木村です。・・・とにかくおめでとう。本当によく頑張ってくれたね。第一号の木村賞を受けた君が1年浪人してまで頑張って希望の奈良女子大文学部に合格してくれた。立派です!・・・大学後の事は君の人生だから君が好きなように決めたら良い。ただ必ず教員免許を取って本校の教師になって母校に戻る可能性だけは失わないで欲しい。出来れば母校の教師になって君の後輩を教えて欲しい。・・・」と私は今当時担任だったN先生を介して朝ほど当該生徒、Tさんのお家に電話して祝福の言葉をかけた。コロナで予備校も思う様に活用できず、本当に1年間苦しかったと言っていた声は切実だったが突然の電話で驚きながらも大変に喜んでくれ、最後は弾んで、結構長い会話だった。
「奈良女子大学」の偏差値は高く、特に看板学部の文学部は偏差値65を超えるくらいだ。奈良女子大学は明治41年(1908)年に女子教員の養成を目的として設置された奈良女子高等師範学校をその前身とし、1911年には附属小学校と附属高等女学校を開校し、昭和24年(1949)の国立学校設置法の公布により、奈良女子高等師範学校を母体として国立の奈良女子大学が発足した。新制大学となってからは、「女子の最高教育機関として」その存在感は今でも圧倒的である。私の時代から特に一目置かれる大学だった。このように素晴らしい大学、通称“奈良女”に木村賞の第一号が合格してくれたのである。小躍りして喜ぶのは当たり前だろう。
「木村賞」とは本校の特別褒賞である。これは時代が平成から令和に御代移りした時に教職員から強く求められ、理事会で決定され、新設された賞であり、在学3か年間、学業成績、生活態度が優秀で他の模範であった生徒1名に対し授与するものである。本校の表彰制度の最高位の賞である。単に表彰とせず、褒賞としたのは善行・功労・成果などを表に彰にする(公に明らかにする)とともに、被表彰者の功績及び実績に対して最大限に褒め称える為であることから、「褒賞金」として賞状とは別に10万円を木村ファンドから拠出している。
第一号の木村賞受賞者の大学は分かったが、果たして今年の卒業生である2回目の木村賞を受けた生徒の進学先は何処かと言う質問にお答えしよう。これまた難関国立大学の「大阪大学経済学部に現役で合格」してくれた。本年は阪大に現役生が3人も合格するなど合格実績は素晴らしいのだがトップを切って高偏差値の大学にK君は合格してくれた。今でも私は卒業式の日に神社前で撮った時のお母さんの喜ぶお顔を想い出す。第一号も第二号の生徒の保護者も本当に我が子を誇りにして嬉しそうだった。私は木村賞の創設に些か面はゆいものがあったが、これで「良かった」と安堵した。今後何十年にわたって木村賞を受けた生徒が社会のリーダーとして活躍して呉れんことを祈念するばかりである。木村ファンドには今後50年間分、既に用意している。