今日の学校現場での「スクールカウンセリング」は極めて重要である。私が小中高などの時代にはカウンセリングなどの言葉さえ無かった時代だ。「そんなものは必要ない。心が弱いからそうなる。第一、家庭の問題だろう。学校は心療内科の病院ではない!」などと宣えば、その校長は「終わり」となる。私自身はこの18年間、公立、私立の校長をやってきてスクールカウンセリングの重要性や有難さなどを痛感して来た。又この学校においても辛い思いをした経験があるだけにカウンセリングの先生とは常にコミニュケーションをとって情報を得ながら生徒、保護者、担任の動きを把握してきた。難しいのは最高の個人情報の管理レベルが担保されないと当該生徒と保護者と担任、あるいは校長間の信頼関係が損なわれる。最高機密情報として扱われないと駄目であり、この認識が極めて重要である。
本校はお陰様でここ最近は極めて優秀なお人柄の良いカウンセラーの先生に恵まれてきた。現在、2名の先生のお世話になっているが、お一人の先生が関東地方でのお仕事が増え、そこにコロナの影響で動きに制限があるという事でこの4月からはもう一人の先生に回数頻度を増やして、すべてお願いすることにした。人間社会の常で人の入れ替わりはどうしても発生する。1年間はリモートカウンセリングでやってきたが、基本的には「フェイス・ツッー・フェイスが望ましい」との思いから決断した。スクールカウンセラーとは、学校現場において児童や生徒、その保護者に対して、臨床心理に関する専門知識を生かしながらサポートしていく専門家を言うだけに、リモート画面で話すより生の感情、息遣い、体温等を感じながらお話しする方が良いに決まっている。
様々な心の問題をもつ人たちを、専門的な知識や技法を使って支援する役割を担っており、スクールカウンセリングは、児童生徒の心理的な発達を援助する活動である。「心の教育」や「生きる力を育てる」などの学校教育目標と同じ目的を持つ活動であるだけに、教員には申し訳ないが「最後は教員の関与」に戻らざるを得ない。このようにして教員の仕事は増えて行くが今は仕方がないと思って欲しい。週に1~2回のカウンセリングの先生だけではどうしても限界があるだけに私は学校カウンセリングを、カウンセリングの先生と連携しながら、「カウンセリングマインドを持った教員」が、当該クラスの生徒を対象とし、生徒の人間形成に関わる諸問題に対して援助していく「総合的な教育活動」と位置づけて行きたいと強く思っている。その努力をしてきた積りであり、間違いなく本校はその道を少しづつであるが歩んでいると確信している。