2021年3月3日水曜日

虎は死して皮を残す?

私はこの学校に来て以来、自分に言い聞かせ、「守り通している約束ごと」みたいなことが二つある。一つは私が造った新築の施設や建物の「ネーミング」を決め、そして「看板あるいは表札」等が必要な場合は「その字」を私自らが書くことである。これについて今日は触れようと思う。(もう一つは又近いうちに。)確かに僭越にも「虎は死して皮を残す」に近いと思われるかも知れないが、せめて後世、誰も経緯を知らない世代になっても、ただ一つこの看板等が時代を見詰めているという若干甘い、思い上がった気持ちだとそしりを受ける可能性を知りながらも、これだけは許して貰って守り通してきた。恐らく今後この学校ではこのような事を継続できる人は出てこないかも知れない。それはこの15年間で全ての物を作り替え、草一本、石ころ一個、昔の物は残っていないように、徹底して変えて来たのが私だからである。神様が私だけに許された特権だと勝手に思っている。


案外と「筆で書くことはしんどい作業」です。まず三日前くらいから精神を集中しなければならない。さっと来てさっと済ますほど才能はないから、「気」をこの一点に絞り、徐々に気を高めていくのである。そう、大相撲の力士の「仕切り時間」に似ているかも知れない。几帳面すぎる性格であるから書く日は一つ一つ時間をかけて準備をしていく。まず硯の位置や筆の選択、墨汁の用意などがある。最もその前に印刷したフォントで看板の大きさに合わせて字の間隔を合わせる為に一枚の印刷した紙を用意する。これで頭にイメージを植え付けるのである。そしてようやく半切の用紙に向かう。今回の物はそれでも長いために半紙を糊付けして都合3枚の和紙を用意して前に据わった。

 



息を吸い込み、一気に書き進めて行くのだが、当然納得できるものからそうでないものまである。何枚も書かない。ずっと3枚を限度として書いてきた。それ以上は疲れて嫌になるから3枚の内で選択できるように頑張って書くのだが、最後の一枚が良いとは限らないところが面白い。終わった後は「ホッ」として「やり切った」感がするのが気持ち良い。「心地良い疲労感」とでも言おうか。その後周辺を綺麗に自分で片づける。片付けまでやって初めて一仕事が終わる、この感覚が好きだから全ては自分でやり、硯を洗い、筆を洗い、文鎮を片付け、用紙を収め、一件落着とするのだ。書の用具は全て段ボール箱に入れ、校務員さんが倉庫に片づける。その場所が何処かは知らない。

 


今回書いたものは1日にお披露目式が終わった堺市美原区に造った「高天原スポーツキャンパス」の第二期工事の「乾坤一擲ドリームフィールド(Kフィールド)」の国旗と校旗の掲揚台傍に設ける「伊勢神宮遥拝所」のヒノキ柱に書くものだった。今朝、業者さんにお渡し、書体を活かし、力強く彫って欲しいとお願いした。3月26日の理事会・評議員会において役員の皆様にフィールドをご視察頂くときにこの遥拝所の披露をする予定で進めている。次は「産土ゴルフ練習場」であるが、この施設の正式名称を何にするかじっくり考えるのが又楽しい。