3班への「校長講話」は1,2班に比べて少し気合が入った。御代替わり、令和元年の伊勢修養学舎の”とり”だからか?大体同じような話だが「話の展開」の原稿などはないから班によって言い方は微妙に異なる。今日は途中から上着を脱いだりして舞台中央から端まで行ったりして、一種のパーフォーマンスと人は言うかも知れない。それでも良い。大切なことは校長の伝えたい事を如何にして伝えるかと言うことだ。
仕事をしている時の私しか見ていない人は「元気ですね」などと言うが、何時もかつも元気でおられる筈など無いじゃないでしょうが・・・。見せ掛けだけです。男は弱いところを人に余り見せてはいけないなど、まったく思ってはいませんが、ただ言えることは仕事は一生懸命に、手を抜かず、やって来たし今後ともする、それが木村流だということです。
校長講話で滑舌が悪くなったり,すべったりし、声に力も無くなれば、浪速高校の校長たる責任は果たせない。まして岸辺から「頑張れ、頑張れ」と掛け声だけで水の中に先頭切って入れないようになったら校長は辞めざるを得ない。校長にしがみつく気は毛頭ないが問題は後任だ。「誰を次の校長にするか、その時は何時か?」そのことを四六時中考えている。今居る管理職の中からというのも一つの案だが、木村がおればこそ、仕事が出来ているということを彼らも分からねばなるまい。たった一人で組織を束ねる本当の力を有しているか?私が居る間に真の力を付けよ!