2019年7月21日日曜日

第3班始まる

遂に最後の班になった。3班は生徒数232人、教員22人、総勢254人だから2班とは3人少ないだけで大差はない。2班が去って3班の開講式まで約3時間ほどある待ちの時間が至福の時だ。正直、疲れも感じるが、後1班だけだと思うと「ほっ」とするのが正直な気持ち。しかし生徒の前に立つと途端に元気が出てくる。「校長と言う職業病」かも知れない。元気のない校長の話など生徒は本気では聞くまい。

 
3班への「校長講話」は1,2班に比べて少し気合が入った。御代替わり、令和元年の伊勢修養学舎の”とり”だからか?大体同じような話だが「話の展開」の原稿などはないから班によって言い方は微妙に異なる。今日は途中から上着を脱いだりして舞台中央から端まで行ったりして、一種のパーフォーマンスと人は言うかも知れない。それでも良い。大切なことは校長の伝えたい事を如何にして伝えるかと言うことだ。


仕事をしている時の私しか見ていない人は「元気ですね」などと言うが、何時もかつも元気でおられる筈など無いじゃないでしょうが・・・。見せ掛けだけです。男は弱いところを人に余り見せてはいけないなど、まったく思ってはいませんが、ただ言えることは仕事は一生懸命に、手を抜かず、やって来たし今後ともする、それが木村流だということです。



でも男は仕事をしている時が一番幸せそうで、仕事のない男は有る面、辛いのではないか。仕事を止めたらゆっくりして畑でも耕し、家庭菜園でジャガイモでも作ったり、自転車で全国一周などの気持ちは、私はさらさら持っていない。死ぬまで仕事だ。「生涯現役」を貫き通したいが、加齢とともに五十鈴川の禊で川の中でしっかりと立っておられなくなる時がある。足腰が間違いなく弱っているからだと思う。


校長講話で滑舌が悪くなったり,すべったりし、声に力も無くなれば、浪速高校の校長たる責任は果たせない。まして岸辺から「頑張れ、頑張れ」と掛け声だけで水の中に先頭切って入れないようになったら校長は辞めざるを得ない。校長にしがみつく気は毛頭ないが問題は後任だ。「誰を次の校長にするか、その時は何時か?」そのことを四六時中考えている。今居る管理職の中からというのも一つの案だが、木村がおればこそ、仕事が出来ているということを彼らも分からねばなるまい。たった一人で組織を束ねる本当の力を有しているか?私が居る間に真の力を付けよ!
 


 


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