2019年7月30日火曜日

「楔を打ち込め!」


27日の終業式、28日の高校クラブ体験、そして29日が英語教育特別プログラムのエンパープログラム、分かり易く言えば「英語国内留学」、そして京都における10日間の「大学受験特訓の合宿」と一応の出番は終えた感じだ。校内はクラブなどで賑わってはいるが総じて静かである。賑いのある学校と静けさのある学校の対比が面白い。どちらも良い。学校もリズムの緩急が有る方が良い。

 

今朝は管理職を集め、拡大朝会を行った。通常は副校長以上で行うのだが、時々このような節目の時に教頭も入れて行う。教頭に直接私の声で直接仕事の課題や指示を行うのである。本日も1学期の成果と慰労を述べ、今、抱えているテーマ等を順序立ててあげた。とにかく教頭は法的に担保された独立職としての管理職であり、学校の花形である。4月に事務長も入れ一挙に5人もの管理職を私は発令した。彼らが次世代のリーダー候補であることは間違いないが、「学校のリーダーたる校長たる存在」は大変なもので教頭と校長では「月とすっぽん」ほど権限も責任も違う。

 



私は教頭の育成の柱として二つの視点を有している、一つは組織に「楔を打ち込むことが出来るか、どうか」だ。長い教諭経験を有し教頭にまで上り詰めるのだから「知識と経験」はあるのは当たり前で、所謂「仕事の出来ない人間」が管理職になれる筈はない。「教頭は教諭の頭(かしら)」である。頭は頭としてのミッションがあり、それが出来るかどうかが、分かれ道である。

 

家でも畑でも「楔」は重要である。組織を構成している人々は千差万別である。彼らが勝手気ままに動けば組織の土台は揺らぐ。土台が揺らげば、家は傾く。「バシッ」と楔を打ち込むことは組織を締め、ベクトルを合わせ、若者を育成する為である。楔の打ち方は色々あっても良いが、公平に公正に打たねばならない。もう一つの視点は「新しいものを、新しいことを導入する力」である。「企画力」と言っても良い。

 


学校社会は「行事消化型社会」についついなり易いものだ。誰かが言わねば「10年毎年同じことの繰り返し」になる。学校が社会の進展に遅れるのは行事消化型に組織が陥っているからである。管理職は社会の動き、他校の動きなどを把握するネットワークを持ち、「こういうのがあるよ、やってみようよ!」という事が出来るかどうかだろう。管理職こそ新しいモノにチャレンジせよ。そういう「流れを仕組み、作れ」。楔は内に視線を向けることで組織を活性化し、新しいものへの挑戦は外に眼を向けるからこそ、手に入るのである。「組織に風穴を開けよ!」