本校には「書道教室」がある。新校舎建設の時に私が入れたものだ。それまでは教室は元より書道の授業さえ無かった。教室を見る全ての人がその素晴らしさに驚く。要は機能的で豪華なのである。それまでの本校では芸術教育分野では「美術」だけであったが、「それでは如何にもおかしいだろう、普通の学校ではない!」と私は憤慨し、順次、音楽科、書道科を加えて「芸術3教科体制」とした。中高時代に些かでも芸術分野を学ぶ機会はその後の心の豊かさに繋がって行く。私はとにかく美術、書道、音楽、陶芸、写真、映画等々芸術文化活動が好きで、好きで堪らない。
その時苦労したのは書道の先生の確保であった。時間数が少ないから書道だけの専任教諭を雇うことは出来なかった。非常勤講師で十分なのである。結局私は府立高校時代に気心の通じていた赤堀先生にお願いをし、招聘した。書道教室の設計段階から入って頂き、最初から教科・書道の指導をお願いし、今日に至っている。同年代でもあり、趣味も合い、淡々とした厚誼が私には気持ち良い。男も年を取って来るとこのような枯れた関係になってくるのが実に心地良い。奥様を亡くされ、今、独り身で悠悠自適、「もう仕事は十分した。遊びたい、遊びたい」と言われるが、「生涯現役」、ずっと本校で頑張って欲しいと念願しているのだが・・・。又先生が渾身の力で書いて頂いた「大祓の詞」は学院神社に向かって燦然と輝いている本校の宝物である。
赤堀修一、号は脩荄(しゅうがい)と言う。先生の「作品集」も多い。赤堀先生は故今井凌雪先生の門弟である。平成19年3月大阪府立金岡高等学校校長定年退職。公立の校長先生で書道専門の経歴の先生も珍しい。平成22年大阪府教育委員会事務局高等学校課非常勤嘱託退職。現在、書法研究雪心会理事、日展会友、日本書芸院評議員、読売書法展理事と書道界では「お顔」のお一人である。岡山県備前市のお生まれ。年齢は書くまい。あの有名な今井先生の薫陶を実践して来られている書道家は何人もいらっしゃるのだろうが、特に赤堀先生は有名である。
先生は文をお書きになるのもお好きで作品集の文章が軽妙洒脱で面白い。文章の上手くない人はまあ、駄目だな。軽薄で教養が無いと言われても仕方がない。大人になると言うことは文章作りが上手くなると言うことだと私は思っている。ある作品集では見開きの右側には真率でお洒落な(ダジャレを含む)文章があった。その文章は幼少から現在までの「自序伝」とも言うべきで内容であり、その折々のご自身の書への思いがストレートに伝わってくる。読んでから書を見ると、どういう思いでその作品を制作したのか、その態度・精神が見えてくるから面白い。書を見てから文を読むのも好いし、文を読んでから書を見るのも好い。タイトルの「書業夢情」は「諸行無常」との掛け言葉であろう。「ショギョウムジョウ」の響きがあるかどうか分からないが、夢のように過ぎ去った書作への情念が、今井老師の言葉とあいまって強く伝わってくる。
話しは変わるが、中国詩歌史上最高の二人といわれる「李白と杜甫」が生まれる300年も前に「陶淵明」という詩人がいた。赤堀先生はこの陶淵明がお好きである。私は李白も杜甫も大好きだが加齢と共に陶淵明も好きになって来た。この辺のところも先生に似ている。陶淵明はお酒が大好きで、ここも赤堀先生と私と似たところだ。この度「日展」で陶淵明を題材にした赤堀先生の作品が入選した。何時もの事であるが、大変お目出度い事であり、私も嬉しくなった。先月末、先生から「時間有ったら、見に行ってくれる?」という小さなお誘いがあり、当然の事として会場の大阪私立美術館に行って来た。