2019年2月12日火曜日

今日は皇紀2679年と2日目


昨日のブログでは「建国記念の日」について触れる機会はなかったが今日は神武天皇が奈良の橿原の地で初代の天皇に即位されてから2679年と2日目になる。新暦の2月11日に即位されたが旧暦では紀元前660年前の1月1日の即位と日本書紀に書いている。

世界で建国記念日を法律で定めて祝日とする国は多いが、何をもって建国記念日とするかは、国によって異なる。
 

しかし我が国では戦後本当にバタバタして紆余曲折があった。恥ずかしいことだ。昭和41年、1966年に定められ翌年から国民の祝日となったのだが、「建国記念日ではなくて建国記念の日」と呼称するのもそのような背景がある。記紀(古事記と日本書紀)の記述から建国神話(日本神話)を基に、建国を祝う日として神話が拠り所となっている。当時、在位中の昭和天皇は第124代天皇とされた。初代神武天皇の即位日を建国の日とした由来は素晴らしいではないか。このような国生み神話を有する国は日本だけである。この時からの暦を「皇紀」と言い、「西暦」に匹敵する独自の暦を日本人は有しているのである。
 

王政復古がなされた明治維新後の明治6年(1873)の2月11日は、日本国の建国の日として「紀元節」が定められ祭日となり翌年から適用された経緯がある。全国各地で紀元節を祝う国民の嬉しさは極まったと歴史書にはある。今でも各地にその根拠や遺物は残っている。ところが第二次世界大戦後の1948年(昭和23年)に占領軍 (GHQ)が日本文化から国家神道を徹底的に排除しようとする過程で紀元節は廃止された。その後、復活の動きが高まり、「建国記念の日」として、前述したように1966年(昭和41年)に国民の祝日となり翌年から適用され現在に至る。 ここに来て初めて「主権の回復」と言えるのではないか。それまでは建国を祝う行事がそのものが無かったのだから。
 

私は神社神道の学校として本校を誇りにしており、「昭和15年の皇紀2600年」の時に信時潔作曲、北原白秋作詞の名曲「海道東征」をご遺族からご了解を賜り編曲して「海道東征浪速」として「学院曲」に定めた。素晴らしい曲である。昨年8月には「平成天皇即位30年の奉祝府民の会」にて本校吹奏楽部が見事な演奏をしてくれ,会場の600人を超える聴衆に感動を与えた記憶がまだ生々しい。日本人として建国記念日は大切にしたい。単に「今日は祝日で休みー!」と喜ぶだけでは足らないと思う。ちなみに私は新校舎を始め、すべての建造物の定礎を書く時は皇紀、元号で示している。