休日や出張で地方に出掛けた時には昔からその地域の一ノ宮を寸暇を惜しんで参拝する。そこのご祭神や神社の佇まいを見るのが好きだ。一ノ宮とは大一等の社格を有し規模も大きい。大阪で言えば摂津国一ノ宮は住吉大社で、河内国一ノ宮は枚岡神社、和泉の国は確か大鳥大社だったと思う。歳を取ると記憶も確かでなくなり、哀しい限りである。
ここ岡山のというより吉備国の一ノ宮は吉備津神社であり、大変有名な神社である。もう一つ吉備津彦神社という立派な神社もあるがこれは吉備津神社が分社して造られた神社である。紀元645年の大化の改新は後に天智天皇となる中大兄皇子が、当時権力を牛耳り、天皇を蔑ろにしていた蘇我入鹿を暗殺し蘇我氏を滅ぼした後に行われた古代史の最大の事であるが、この時法律の整備の他、地方の国の見直しが行われ、その結果、吉備の国は解体され、備中、備前、備後の三地域に分割されたと歴史書にある。
それに合わせる形で、吉備の国を守っていた吉備津神社が各地域に分社され、備前には吉備津彦神社が造られた。当時の一宮は中央からのお達しが最初に伝えられる役割の神社であり、備中にも備前にも備後にも地域の守り神となる格式高い神社が必要で、その結果備中に吉備津神社、備前に吉備津彦神社、備後(今の福山市)に吉備津神社が置かれた。元々備中に位置していた吉備津神社の神様を3ヵ所に分霊して現在の形になったのである。現代風で言えば備中(今の岡山市)の吉備津神社が元祖、オリジナルと言える。
今日は時間もなく、備中の吉備津神社の参拝とした。しかし、この神社は吉備総鎮守を名乗り「三備一ノ宮」と言われている。プライドなのである。足利義満造営とされる本殿は独特の比翼入母屋造(吉備津造)で、拝殿とともに国宝に指定。また社殿3棟が国の重要文化財指定されるほか、特殊神事の鳴釜神事が有名である。
当地出身の政治家犬養毅は、犬養家遠祖の犬飼健命が大吉備津彦命の随神であるとして、吉備津神社を崇敬したという。神池の畔に犬養毅の銅像が建てられ、吉備津神社の社号標も同人の揮毫である。