昨日赤堀先生から頂いた備前焼「船底徳利」の胴体全面に先生が、書かれたというか掘られたというか、その字は「琴酒相寿」であった。(きんしゅあいことほぐ) と読み、「音楽を楽しみ、お酒を酌み交わそう」と言う意味であるが、これは結構多くの書道家が好んで書かれる文字である。出典は知らないが元々は「禅僧」から出た言葉か?人間たる者、「仕事、仕事の毎日」だけではなく、琴とは歌舞音曲の事で、遊芸を楽しみ、共に酒を味わう余裕が欲しいものだと教えていると私は受け止めている。要は「人間としての幅の広さと懐の大きさ」を問われている話で、私などほぼ毎日酒は飲み、演歌大好き人間だから一応適応していると思っているが果たして?とにかく今は大きな組織目標である「4月30日の開校100周年奉祝祭を成功裏」に持って行くべく「各種点検」に時間が取られている。少し心の余裕のなさを反省だ。
今朝、4月に専任教諭に採用される国語科のM先生に部屋に来て貰い激励した。彼女は清教学園から赤堀先生と同じ奈良教育大学で学び、書道の免許も有している人材だ。私はM先生に赤堀先生との関係に触れながら頂いた徳利を出して「人間としての幅の広さ」が教員にも大切だと述べて大いに激励したのである。芯は強き女性なので赤堀時代から書道教育において次の時代を担うには彼女しかいない。「頑張ります!」と目を輝かせて言ってくれた。仕事への
一方式典への諸準備がどう進捗しているのか気になるが優秀な教員たちが見事に成し遂げてくれると信じている。ただ「性善説」だけで「全てが上手く行くほど甘くはない」と考えて、時には「チェック厳しい!」と言われるくらいポイントポイントで進捗と出来上がりの完成度について私は想定しながら「問いかけ」を忘れない。それが私の仕事である。幾分「完全主義者」的な面があるのは自分自身よく、よく分かっている積りだが、スタート時点で「出来上がりがまあまあ」では良い物は出来ない。特に心配しているのが式典当日に配布する「ダイジェスト版100年史」であり、これは5年度一杯、公立中学校、塾関係者、学校での入試説明会での配布資料となるから「抜けの無い、良い出来栄え」の物を作成することは絶対的である。
仕事は人がするもので、大切な事は「優秀な人材の投入とその量」であり、昨日以来、関係の教職員を呼んで、チェックを入れている。今朝も又一人の国語科のY先生を呼び、「100周年誌担当」の口頭発令を行った。この先生は公立学校から本校に来てくれた先生で私が面接し、そして専任になって貰った人だ。責任感が強く、我慢強い感じが何とも素晴らしく、彼の口から奈良のご家族の話を聞くのが楽しみである。この先生の投入で100年史は一段と輝いた素晴らしいものになると考えた。本校に来て10年、過日60歳の還暦を迎えられたというが素晴らしいネクタイをされており、「娘がプレゼント云々」と照れて言われていた。
「映像による100年史」と銘打っているが、書いたものがただ一つ、それが簡略版100年史である。何故「簡略版と言うかであるが重たい3分冊の正式版はこの秋までに完成すれば良いと思っているからだ。肝心な4月30日当日の写真が1枚も入っていないような100年史では駄目だと私は判断した。だから4月30日当日の記念誌は「年表と写真で辿る100年」にした。年表と写真を早く決めなければならない。「教員への激励と仕事の割り振り、すなわち人事こそミッション成功の要諦」である。たまたま今朝のM先生、I先生のお二人は国語科の教諭であるが、理事長の思いと期待に応えてスピードを上げて素晴らしい仕事をしてくれることは間違いない。