社会科常勤講師 S,K
2020年より始まった新型コロナウイルス感染症の流行が今なお将来が見通せない状況の中で、私の浪速学院での勤務も3年が経とうとしている。コロナ禍による休校やオンライン授業の実施、行事の中止・縮小など学校教育は先例のない制約を受け、行先が見えない社会状況に不安を感じることさえもあった。そんな私を叱咤激励して下さったのが、木村理事長・学院長である。木村理事長・学院長が情熱的に発信する「理事長アラウンド」は常に活力に満ち、その内容は幾度も私の背中を押してくれた。「今日一日を一生懸命に生きる「中今の思想」(2022年5月26日)」や「授業ではICTを自在に駆使し、生徒に理解させよ!」(2022年11月22日)は私が大きな薫陶を受けた内容であり、以来、毎日の授業に対し常に丹念な準備をもって臨み、より良い授業へと改良を重ねていくことを銘肝している。とりわけ、最も肺腑を衝いた記事が「ICT教育のさらなる発展へ」(2022年6月25日)である。本稿では、当該記事が私の心を突き動かしたその理由について、これまでに木村理事長・学院長から拝聴したご高説などとも連関させて論述したい。
まず、当該記事から「ICTが学校を変える」というご指摘について言及する。長野県の旧開智学校は明治時代初期から続いた日本で最古の学校として名高く、当時の教室や黒板が現在も保管されている。この旧開智学校の教室について注目されるのが、明治時代と現在の授業形式に変化がないことである。すなわち、黒板に向かい生徒が授業に取り組む手法は今もなお行われており、1世紀以上経っても変化がないのだ。
21世紀の社会でICTの活用力が必要になることは言を俟たないが、学校の教室もICT環境を完備した次世代型の教室へと脱皮する必要があろう。先日、木村理事長・学院長から新校舎の教室にはホワイトボードに電子黒板を埋め込む構想があることをお聞きした。浪速学院が目指す教育は、1世紀以上変わらぬ教育から脱却し、学校だけでなく生徒の未来を見据えた教育の道を歩もうとしている。ICT教育の可能性に魅了されて教員を志した私にとって、このような教育理念とICT環境を備えた本校で勤務できたことはまさに僥倖であり、新校舎の構想を拝聴した時には、この教室でぜひ授業を行いたいと強く胸を躍らせた。
ICTによる先進的な学校を目指す本校での勤務は、自らのICT教育の未熟さを痛感する日々であったが、木村理事長・学院長をはじめ諸先生方のご指導を仰ぎながら、後述するような私が志向するICT教育を着々と練成することができた。既存の教育観念にとらわれない本校の教育理念が、私に教員としての成長の機会を授けてくれたのである。そして、効果的な教育方法とは何かを常に模索しながら日々の教育や授業に対し真摯に奮闘することこそが、私が志す教員の要諦であることを強く認識したのである。この教訓を胸に、教員としてのさらなる成長を目指して、今後も至誠に鋭意邁進していきたいと真に考えている。
次に当該記事の中で注視したいのは、ICT機器を駆使した新しい授業の実践に対するご指摘である。私は、教員とは「授業のプロフェッショナル」でなければならないと考えており、生徒の学習を深めたい一心でICT機器を活用し、画像だけでなく映像や音楽を組み込んだ授業を研究・作成してきた。その私にとって、2020年5月に木村理事長・学院長から「学校の教員はあらゆる手を駆使して生徒に教える「プロフェッショナル」でなければならない」というご教示を頂戴したことは今でも忘れられない。以来、ICT機器だけでなく、実物の資料などを使った新しい学習方法には常に貪欲になって知識を吸収し、それを授業で実践することを心掛けてきた。木村理事長・学院長のご教示は、こうした新しい学びを追究しようとする私の姿勢の原動力になっているのだ。現在では、ICT機器を活用して生徒に主体的・協働的な学習の機会を提供するファシリテーターとしての教員の技量を向上させたいと考えており、「授業のプロフェッショナル」である教員になるための私の挑戦は続いている。今後も自らの教育信念として奮励努力していくつもりだ。
以上、「理事長アラウンド」による木村理事長・学院長のご教示とこれまでのご指導が、私をいかにして奮起させたかについて愚考を述べた。今日までの浪速学院での日々は、多方面にわたって教員としての力量を成長させる機会を与えてくれたとともに、生徒指導やICT教育の実践など自らの不勉強と未熟さを痛感させてくれた。こうした得難い経験ができたのは、まさに浪速学院に勤務できたからであり、3年間で学んだことを基に、「浪速」の専任教員を目指して生徒の教育に携わることが私の責務であると考える。教育への情熱と克己心、そして謙虚な姿勢を忘れず、より一層精進してゆくことを誓って本稿の結びとしたい。