43歳でアメリカの第35代大統領に就任した「ジョン・F・ケネディ」は1963年11月22日、遊説先のテキサス州ダラスにてオープンカーでパレード中に狙撃され、暗殺された。享年46であった。まだ高校生だった私は月に一度の実家近くの床屋さんで髪を切って貰いながらテレビでその死を伝えるテレビ放送に見入り、高校生ながら愕然とした何とも言えない「喪失感」にとらわれた記憶がある。その時の光景は今でも鮮明に覚えているくらい強烈だった。その時から20年の時が経ち、私は会社からニューヨーク勤務を命じられ、アメリカと言う憧れの国の住人となった。
米国駐在期間4年弱の間にケネディが暗殺されたテキサス州ダラスのその場所に立ったことは何回もある。オズワルドが撃ったという場所まで行ったことがある。その時購入した10センチ四方のケネディの顔がレリーフされた銘板は私の若かかりし頃からの宝物である。その銘板に書かれている言葉は常に私の頭にあり、「私の生き方の根幹」をなしている。それが:
「Ask not what your country can do for you; ask what you can do for your country」である。
「国があなたのために何をしてくれるのかを問うのではなく、あなたが国のために何を成すことができるのかを問うて欲しい」。
1961 年1 月20 日、ケネディはワシントンDC の連邦議会議事堂の石段で就任演説を行ったのだが、彼の言葉は、当時の死活的に重要な外交政策の課題に焦点を当てていた。彼は、米国は「いかなる代償も払い、いかなる重荷も負う」と述べ、共産主義の挑戦に対抗して自由の諸勢力を支援する米国の決意を示した。ケネディは演説の最後の部分で、年若い大統領として自らを「米国民の新しい世代」の一員とみなし、同世代の人々に対して、より良い世の中に向かって働くよう呼びかけたのである。その言葉が就任演説の中の最も有名な部分となり、ケネディは、米国民に自己利益を超えて、自分の国のために働くよう促し、「あなたの国があなたのため に何ができるかを問うのではなく、あなたがあなたの国のために何ができるのかを問うてほしい」と述べたのである。豊かで強いアメリカの始まりとなった。
Ask not what your school can do for you; ask
what you can do for your school」である。
学校が先生方の為に何が出来るか問うのではなくて、先生方がこの学校の為に何が出来るのか問うて欲しい。
令和5年4月30日の開校100周年を節目に浪速学院は新しい世紀へと船出をする。職員会議に出席している若い優秀な先生方を見ると、思わず気持ちが昂り、私は声を張り上げて訴えざるを得なかった。会議が終わった後もしばらくは顔がほてっていた。