元々「漢詩」が大好きであるが、中でも「李白」と「王維」の大ファンである。王維は西暦 700年代、盛唐の時代の大政治家でもあり、大詩人でもあった。晩年はそれまでの役人生活に疑問を抱き、長安の南の輞川(もうせん)に別荘を構え隠棲し、詩・書・画・音楽に専念する生活を送った。仏教を信じた生きざまにより、後世の人から「詩仏」と称えられている。
この王維の作品に「元二を送る」という題名の詩があり私はこの漢詩をそらんじているほど好みで、時々引用させて貰っている。
「渭城の朝雨 軽塵を浥す(うるおす) 客舎青青 柳色新たなり
君に勧む更に尽くせ 一杯の酒 西のかた陽関を出ずれば 故人無からん」
ここで言う故人とは古い友人の事で、渭城の朝の雨は軽い土ぼこりをしっとりと濡らし、旅館の前の柳は雨に洗われて青々として、ひときわ鮮やかである。さて君はこれから遠く安西に使いするために旅立つのであるが、さあ、もう一杯飲み干したまえ。西の方(かた)陽関を出てしまったら、もう君に酒を勧めてくれる友人もいないであろうから。私はこの詩からさわやかな朝の光景の中に見る無限の寂しさを感じる。本題は「元二の安西に使いするを送る」と言う。当時は柳の枝を別れ際に折り取って手渡す習慣があり、その柳をしみじみ眺めている作者が、渭城から安西まで何千キロもあるのだが、そこは砂漠地帯で、ほとんど人は住んでいない辺境の地である。いったん別れると、もう二度と生きては会うことのできない当時の別れの、辛く悲しい思いがあふれ、読む人の涙を誘う名詩で、これに勝る送別の詩はないと私は思う。
今日、私は以上の漢詩を思い浮かべながら一人の人物を見送った。その人の名は「赤堀脩荄( 修 一 )」氏と言う。本校の書道教育の非常勤講師であり、私と全く同じ歳であり、私が府立高津高校の校長時代からの親しい友人である。岡山の備前市に生まれ、昭和44年3月に奈良教育大学特設書道科卒業、更に専攻科で学ばれ、昭和46年府立東住吉高校に奉職。平成12年府立門真高等学校校長、その後府立金岡高等学校校長を歴任され平成18年には教育功労者知事表彰を受賞されている。現在は書法研究雪心会理事、日本書芸院評議員、読売書法展理事、日展会友と書道の世界では大きな実績を残されておられる教育者であらせられる。平成28年の中央館には自分で言うのも自慢話になるが「それは、それは立派な書道教室」を作ったのだが、この時から設計にも加わって頂きご指導を受けた。
竣功後は「書道の先生」としてそのまま本校にご勤務頂き、書道部の創設、お茶室洗心亭や東館理事長室への通路には先生の筆になる極めて大きな扁額「大祓詞」がある。何れも今や本校の宝物である。「木村さんとの約束はほぼ果たした」とおっしゃり、前から後進に道を譲り、引退したいと言われていたが漸く書道免許を有した国語の専任教諭の確保が出来たので、先生をお送りすることにしたのである。個人的には赤堀先生は備前のご出身であり、先生から頂いた「備前焼の船底型徳利」がある。先生自ら書かれた書陶である。まさに「君に勧む更に尽くせ一杯の酒」である。赤堀先生も私も日本酒が大好きであり、それだけにこの漢詩は感慨が深い。寂しくなるが赤堀先生にはご健康にて悠々自適の毎日を送って頂きたいと勧める一杯の酒は無かったが、校内にある先生の足跡をたどりながら別れの昼食を共にした。赤堀先生、8年もの永い間、本当に有難うございました。助かりました。ご恩は忘れません。